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プロローグ 文脈を繋ぎ直すために|虹はいまだ旅の途上——李琴峰のクィア的紀行

 振り返れば、ここ数年は人生で一番「クィア」を連呼している時間かもしれない。
 もちろん、クィアという言葉は知っていた。そして自分もまたクィアと呼ばれうる存在であることも、はっきり分かっていた。
 しかし、クィアという言葉に帰属意識を見出し、それを自分のアイデンティティを表す名称として名乗りたいと思ってはいなかった。

 言うまでもないが、「クィア」はかつて英語圏で使われた同性愛者やトランスジェンダーに対する蔑称であり、差別用語だった。その語義は「おかしい人」「変態」「風変わりな人」であり、語感は日本語の「ホモ」や「オカマ」に近い。しかしその後、90年前後のアメリカで、LGBTコミュニティは「変態クィアで何が悪い」というふうに肯定的に使うことによって、「クィア」という侮蔑の言葉を誇りの言葉、既存の規範を挑発する言葉として奪還・再領有した。今ではLGBTをはじめ、アセクシュアル、ノンバイナリーなど非規範的な性の在り方の人々に対する総称として使われている。
 このような歴史を分かっていながら、クィアという言葉に乗れなかったのにはいくつか理由がある。
 ます、「クィア」が指し示す範囲があまりにも広すぎたからだ。そんな幅広いスペクトラムの人たちと連帯できる自信はなかったし、必要性も感じなかった。クィア・コミュニティ内の様々な問題点(例えばゲイによる女性蔑視や、同性愛者によるトランス排除など)を身近で見てきたからなおさらである。だからこそ、若かった時の私は自分が安心して所属できるコミュニティ(つまりレズビアン・コミュニティ)にどっぷり浸かり、それ以外のクィアの人たちとはあまり接点を持たなかった。
 次に、「クィア」という語が纏っている、規範を進んで攪乱しようとするニュアンスに馴染めなかったからだ。私は規範を攪乱したいからレズビアンになったのではないし、自身のセクシュアリティを受け入れるために長い内的格闘を強いられた。「クィア」の中国語訳「クーアル」の「酷」は「残酷」の意味ではなく、「クールで格好いい」の意味だが、私にとってセクシュアル・マイノリティであることはそこまで格好いいことではなかった。
 最後に、日本語圏でも中国語圏でも、「クィア」は英語圏ほど普及していないからだ。英語で「I’m queer.」と言えば大体通じるが、日本語で「私はクィアです」と自己紹介したところで、ほとんどの場合理解してもらえないと思う。
 このような理由により、私にとって「クィア」よりも「レズビアン」という名乗りのほうが、ずっとしっくり来ていた。

 ではなぜ、今になって「クィア的紀行」なんてタイトルでエッセイを書くことにしたのか? それは近年の反トランス的なバックラッシュと深く関係している。
 2015年、連邦最高裁の判決により、アメリカ全土で同性婚が実現した。本来であれば世界の人権史に刻まれるべき記念的な出来事だったが、残念ながら世界中のLGBTコミュニティに新たな受難をもたらした。それまで反同性婚運動に勤しんでいたアメリカの保守右派・宗教右派の勢力は、同性婚を覆す見込みを失うやいなや、今度はトランスジェンダーへの攻撃に軸足を移し、反トランスのキャンペーンを展開した。2016年ドナルド・トランプの当選によって保守派はさらに勢いづき、彼らのキャンペーンは一大バックラッシュになった。このバックラッシュは欧米諸国にとどまらず、2018年には日本に、2021年には台湾に襲いかかった。
 バックラッシャーの攻撃の手口は多種多様である。トイレや更衣室の利用を制限したり、性別承認医療を禁止したり、スポーツから締め出したり、法的性別の変更要件の厳格化を訴えたり、「性転換を望む子どもが急増」と恐怖を煽ったり、オンラインでアウティング・誹謗中傷・ハラスメントをしたり、ミスジェンダリングやデッドネーミングを繰り返したり、さらには「トランス狩り(transvestigation)」と言って、不確かな情報を根拠に他者をトランスだと決めつけたりする(パリ五輪のボクシング女子の選手が「トランス認定」されたことが記憶に新しい)、そういった攻撃は日常的に行われるようになった。
 中にはこんなデマもある。いわく、「クィアは変態を意味する語で、同性愛と両性愛性的少数者を表すものだから、小児性愛者ペドフィリア死体性愛者ネクロフィリア動物性愛者ズーフィリアなどを指している [1]」という。
 このデマを目にした時、私は怒りを禁じえなかった。なんて卑劣な! 先人たちが抑圧の歴史の中でかろうじて奪還した尊い言葉を、またこのようにして曲解することで収奪しようというのか?
 それから、私はクィアという言葉を積極的に使うようになり、自らもクィアを名乗るようになった。バックラッシュに接することでクィアのアイデンティティが芽生えたといっても過言ではない。
 「クィア」を名乗ることにより、私は先人たちが奪還した誇りの言葉をバックラッシャーから守ろうとしている。
 「クィア」を使うことにより、私はそれまで連帯の可能性を見出してこなかった人たちにも広く話しかけ、広汎な連帯を呼びかけている。
 クィア、クィア、クィア……この言葉を繰り返し使っているうちに、私は自分自身から切り離されていた文脈に、ようやく再接続できたような気がした。それはすなわち、歴史的にクィアと呼ばれてきた人たちによって連綿と受け継がれてきた権利回復運動の文脈である。
 台湾で生まれ、日本で生活し、日本語と中国語を主要言語とし、アジアからほとんど出たことがない私は、欧米発祥の「クィア」という言葉とそれにまつわる諸文脈から切り離され、長い間、断絶を余儀なくされてきた。しかしバックラッシュは文化や言語、国家の境界線をものともせず、世界規模の波となって襲ってきた。である以上、私も自身の文脈を、クィアの歴史という文脈にもう一度接続し直さない限り、バックラッシュの正体を見極めることができない。
 これから記すのは、いわば「文脈を繋ぎ直す」ための旅だ。クィアという言葉を引き受けることによって、私は様々な国のクィアたちに、さらには現在にとどまらず、過去や未来のクィアたちにも接続しようとしている。私たちの生、私たちの死、私たちの血と涙、私たちの苦悩と受難、そして闘争と超克、それらを見つめるために、私は旅に出なければならない。
 私たちの歴史は「正史」に刻まれてこなかった。私たちの名前は「正典」に記されてこなかった。私たちの存在は時代の影に追いやられてきた。数千数百年を経た今、私たちはようやく小さな声を手に入れた。しかしそんな小さな声でさえ忌み嫌い、それをかき消そうとする人たちがいる。であれば、私は自分の両足と五感で、その声を拾いに行かなければならない。
 文脈を繋ぎ直した先に見えてくる虹の輝きを、自分の言葉で写し取るために。


[1] 例えば笙野頼子は著書『発禁小説集』でそう主張した。2022年に神道政治連盟が自民党の国会議員の会合で配布した差別冊子も似たような主張をしている。

著者略歴

李琴峰(り・ことみ)
1989年、台湾生まれ。作家・日中翻訳者。2013年来日、17年『独り舞』で第60回群像新人文学賞優秀作を受賞し、デビュー。『五つ数えれば三日月が』で第161回芥川賞・第41回野間文芸新人賞候補、『ポラリスが降り注ぐ夜』で第71回芸術選奨新人賞受賞、『彼岸花が咲く島』で第34回三島由紀夫賞候補・第165回芥川賞受賞。他の著書に『星月夜』『生を祝う』『観音様の環』『肉を脱ぐ』『言霊の幸う国で』がある。