【言霊はぎすぎすせけんさまの特効薬】
橋のたもとを歩いていたら、
後ろからチャリンチャリンと
自転車のベルの音が聞こえた。
わたしは邪魔にならないようにと端に寄る。
「ありがとう」
と外国人が一言かけて走り去っていった。
わたしは、およそ聞こえない声で「はい」とだけ返事をした。おそらく、まず間違いなく、わたしの「はい」は彼には届いていないだろう。
こんなこともあった。
いつものようにバスに乗っていた。
バス停にとまると、大きな声が聞こえた。
振り返ると「ありがとう」ございましたと深々と運転手に挨拶をして降りて行く女子中学生の姿が目に入った。
お店で料理がきたときの「ありがとう」は言える。
でもこの「ありがとう」と外国人や中学生の「ありがとう」はまったくニュアンスが違う。この微妙な違いをわかってもらえると嬉しい。
わたしはこういう場面で「ありがとう」と言いたい気持ちはあっても恥ずかしさが先にでて声がでない。
いっぽう「ごめんなさい」はすぐ言うくせがある。小さいころ姉のかーちゃんがよく叱られているのをみていたせいで、叱られるとすぐ「ごめんなさい」とあやまるクセがついたらしい。だから叱れないのよと笑いながら母は良く言ってた。
でも、そんなわたしでも、おもてなしと言われたり、絆という言葉が流行ったり、様ざまな美辞麗句が事あるごとに流行りはするけど、「ありがとう」や「ごめんなさい」と、みんなが言い合える「世間様」なのかというとそうでもない気がする。これも微妙な言いまわしをわかってもらえると嬉しい。
チャリンチャリンとベルを鳴らして橋を渡っていった外国人や、大きな声でお礼を言ってバスを降りていった中学生のように、「ありがとう」と素直に言えない人の方が多い気がする。「ごめんなさい」もそうだと思う。わたしはもちろん言えてない。はい。ごめんなさい。
こんなことを思っていたら「ありがとう」「ごめんなさい」っていう言葉は今更ながらすごく大切な言葉なんだって思えた。
たった一言「ありがとう」を言わないだけで、
たった一言「ごめんなさい」を言わないだけで、
ぎすぎす世間様になっている。
...ていうお話。
🍙お文具さんみたいにゆる〜く生きたいわたしです。
撮影場所 小樽市色内 旭橋
Photo by かしるい
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20230908
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