旅の話。ヴェルサイユ宮殿と建築を命じた王について。
みなさん、こんにちは。
昨年に掲載した記事「岩山の町 フランス周遊の旅」に、パリと、ロワール地方、モン・サン・ミッシェルについての旅行についてご紹介させて頂きました。
今回はその中で省いた部分(ベルサイユ宮殿とその建築を命じた王)について、ご紹介させて頂きます。
この話の内容ですが、2002年に妻と旅行した際に、現地ガイドさんから聞いた話と、帰国してから調べた話が元ネタになります。
話の起点として、あの有名なルーブル美術館が宮殿だったこと、
パリの市街地で、セーヌ河に沿った立地を嫌った王が、郊外に建てたのがベルサイユ宮殿だったということ、
太陽王と呼ばれたその王は、凱旋門を始め、積極的にパリ市街を整備したこと、等が挙げられます。
この偉大な王の名前はルイ14世。
コレラやペスト等の流行した伝染病を恐れ、水を極端に恐れ、入浴もしなかったため、体臭を消すために香水が発展したことは何処かで聞いたことがあるかもしれません。
パリ市内から郊外にバスで一時間程度だったかと思います。イメージとしては新宿から八王子の辺りに移動する感じでした。
丘の上にある大きな宮殿は、多くの観光客が見学できるように、整えられている印象でしたが、ルイ16世のフランス革命前までの繁栄時、千人あまりの人たちが暮らし、窓から排泄物を捨てたり、男性は会談で小便をするなどしていたために、夏は相当な悪臭の地だったようです。
この不衛生な点については、都市部も同じで、前の記事にも書いたところです。
宮殿の中は、見学コースとなっており、王冠が展示されている部屋や、寝室や、多くの小部屋や、一番奥の鏡の間まで、
現地ガイドさんの説明を聞きながら、コースを巡りました。
印象に残ったのは、寝室にルイ15世の肖像と、周りを取り囲む二十人程の女性が描かれた絵が飾られていて、長身でなかなかの美男子だったこともあり、次のルイ16世がフランス革命でギロチンにかけられることを考えたら、偉大な太陽王の息子として、最も恵まれた王だったんだろうな、と異国のごく一般的庶民としては、思ってしまうところもありました。
フランス革命時、困窮した農民たちがここに大勢押し寄せた時に、
マリーアントワネットが「パンがないのなら、お菓子を食べなさい!」と2階の窓から言い放ったとされていますが、誰かが作ったデマが広まった説もあり、真相はわからないようです。
見学コースの最後におみやげコーナーがあり、記念にルイ王朝時代の宝物のフルカラーの写真集を購入し、バスの駐車場で1ユーロ(当時120円程度)のエッフェル塔のキーホルダーをオジさんが手売りしていたので、5個ぐらい買って宮殿を後にしました。
帰国前に空港で買ったおしゃれなキーホルダーは1年も経たずに壊れてしまいましたが、この1ユーロのキーホルダーは頑丈で、今でもどれも壊れずに活躍しているので驚きです♪
もしご興味がございましたら、「岩山の町 フランス周遊の旅」もぜひお読み頂けたら幸いです(有料記事とハッシュタグが付いていますが、金額の設定等をしていないため、おそらく無料でお読み頂けると思います)。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!