「みんな」の要望には応えられない
「頼られてるんじゃなくて当てにされてるだけ」
そう言われてしばらく考え込んでしまった
何も言い返せず固まってしまった、その通りだと頭が判断するより先に体が分かっていたような感覚だった
コミュニティをつくりたい、場づくりをしたい、みんなが楽しめる居場所をつくりたい…
小さな活動ではあるが、スタエフで無料開放の場づくりをしている私には、時たま驚くような要望が届くことがある
「こんな場を作ってほしい」「こんなコミュニティを作ってほしい」ならまだ意見として受け取れるが、「障害があっても働ける場をつくってほしい」「会社を設立して従業員として雇ってほしい」「差別がなくなるような団体をつくって考えを広めてほしい」といったような、あまりにも規模が大きすぎるものだ
笑える冗談で済むのならいいのだが、時折自分の要望や意見は概ね通ると思って私に頼ってくる人たちが一定数いるのが現状だ
当然彼らの求めるコミュニティは、私がつくりたいと思っているものとは異なる
私のつくりたいコミュニティが正だとか、もちろんそういう次元では考えていないから「ご自分でコミュニティや会社を立ち上げられるのがよろしいかと思います」と答えるので精一杯だが、悲しいかなその趣旨が理解されないこともある
「自分がやりたくないと思う活動に、どうして本人の代わりに責任を負って労力や時間を割かなければならないのか?対価もなしに」
続けて放たれた言葉が心の奥底にずどんと落ちる
その人が言うことは正しい、正しいからこそ問題をうまく処理ができない自分に腹が立つ
私は、自分の意見をはっきり言えるような人になりたい
場づくりをしたいと発信するようになってから、自分が何かを成し遂げるのではなく私に何かをしてほしいという依存的な方が周りに増えた気がしている
その要望すべてにお応えすることはできないし、私の器ではできないことがあるのは当たり前のことで、あくまで私は自分がつくりたい場づくりをするだけ、その趣旨に合わない活動には関わる暇がない、というのが正直なところだ
その正直な意見を相手がなるべく傷つかないよう伝えられたらいいなと思っているのだが、如何せん苦手分野なので、少しずつ頑張りたいと思っている
「この人は自分の場づくりに協力してくれる人か、必要な人か、コミュニティに入ってくれる人なのか(お金を払ってくれる人なのか)を見極めていかないと、キリがないし自分が疲弊するだけ」というアドバイスも受けた
「本当に頼りにしてくれている人がいるから、その人たちを大事にしてほしい、寄っかかってくる人の意見に引っ張られて、本当に自分を必要としてくれる人たちのことを置いてきぼりにしないよう守ってあげてほしい」とその人は言った
その通りだと、私は思った
味方になってくれる人を守れるように、もっと強くなりたいと思った
▽音声で聴きたい方はこちら、ゆっくり悩み事を吐露しています
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