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日本史27 藤原親子のエレガンスさの割を食った民衆

イヤホワッ!!イヤホワッ!!イヤホワッ!!
意味ないけど、これをいうと幸せになれるよ!
年収が10倍になるよ。
イヤホワッ!!

リスって、ドングリを地面に埋めるんだって。
大事だからね。
あとで食おう、みたいな感じでね。
でも埋めた場所忘れんねん。

草!!!


1.娘と孫の力でトップになった男・藤原道長

全盛期!
藤原北家の全盛期がきましたよ!
安和の変以降、もうライバルがいなくなった藤原北家は、天皇の補佐役である摂政・関白のポジションを独占します。
独り占めです。

でもでもでもでも、やっぱりどこにでも争いって起きるんですねー。
もはや、わざと?
わざと争ってる?
ってぐらい、争いが起きるんです。

仲間である藤原北家の中で権力争いが起きるんです。
みんな、「俺がトップだ!」って言ってきかないんです。
みんな、アカレンジャーになりたいんです。

この権力争いを勝ち抜いたのが、一度は名前を聞いたことがあるアイツ。
藤原道長です。
「摂関政治」といえば、藤原道長、というぐらい、このころに絶大な権力を持ちます。

でも、藤原道長が、歴史に残るぐらいに権力を持てたのは、藤原道長がすげー優秀だったからじゃないんです。
いや、それなりには優秀だと思うよ。
でも、この絶大な権力の源は、藤原道長の娘にあるんです。
娘を天皇に嫁がせまくったんです。
天皇に嫁いだ娘の数、なんと4人!

「いや、だから?」ってならないでください。
つまりね、天皇と娘の間に子どもが生まれるじゃないですか。
いずれ天皇になる子どもですよ。
そのおじいちゃんが、藤原道長なんですよ。
天皇のおじいちゃんとして、権力をふるいまくるんですよ。
藤原道長の孫で天皇になったのは、3人いるんです。
その、どの天皇の時も、藤原道長おじいちゃんは、孫に後ろから、国を牛耳ってたんですね。


「おじいちゃんが全部やっとくから」

2.親父に全部の運を持ってかれた息子・藤原頼通

そして、この絶大な権力を誇示したのは、藤原道長だけではありません。
藤原道長の子、藤原頼通も、この権力を増幅させていきます。
藤原道長おじいちゃんの孫で、天皇になった3人の摂政・関白を担ったのが、藤原頼通なんです。
なんと50年間も、摂政・関白のポジションにいたんです。
盤石!
もう盤石だよね、藤原家!

この藤原親子の時代の政治の目標なんて、「例年通り」だからね。
去年と同じで、今年も、何も変化なしってことが重要視されたらしいよ。
他のヤツからしたら、超つまんなくない?
毎年、毎年、決まった行事をやって、決まった儀式をやって。
政治の役割なんて、人事異動ぐらいだったんだってさ。
仕事をするために仕事生み出すみたいな。
本末転倒ですよ。

でも、この盤石藤原家もいつまでも続かないんだ。
藤原道長が、なぜ、この絶大な権力を築けたんでしたっけ?
そう、娘を天皇に嫁がせたからだよね。
だから、息子・藤原頼通も同じ手法をやろうとしたんだけど、残念。
藤原頼通には、娘がなかなか生まれなかった。
ようやくできた娘を天皇に嫁がせたんだけど、今度は、天皇と娘の間に男の子が生まれなかった。
こんな運任せな戦略ないよね。
しかも、多分、オヤジの藤原道長が、その運を全部使い果たしたでしょ、絶対。
結果的に、藤原頼通は政治の世界がいなくなって、その後、藤原家はどんどん衰退していったんだって。


あの頃はよかった

3.どん底の社会に現れて、口から人間を出す坊さん

藤原家の繁栄とともに、貴族の文化はそれはそれは優雅な生活を送っていたんですけど、民衆は、本当に厳しい生活を送っていました。
今と一緒ですね。
まず、地方に赴任して税金を取り立てる国司、つまり受領ですね。
こいつらが、自分の小遣いを増やそうと、民衆にどんどん税を課してきます。
今と一緒ですね。
そして、都市部では、盗賊が集団を作って暴れまくります。犯罪行為しまくりです。
今と一緒ですね。
さらに、疫病が流行して社会に不安が充満します。
この前まで(今もかもしれないけど)、現代もそうでしたね。

さらに、不安をあおる要素があったんです。
それは、「末法思想」というやつです。
この末法思想っていうのは、つまりお釈迦様の教えをちゃんと実行する人がいなくなって、世の中が荒れまくるっていう考えです。
この末法は、お釈迦様の死後2000年後に訪れると言われていたんですが、まさにそれが、この時代だったんです。
みんな思うわけですよ。
「こんな状況なのに、仏様も助けてくれそうにない。だって末法だもの」と。

そんな中に救世主かのごとく現れたのが、空也というお坊さんです。
彫刻みたことないですかね。
口から人が出てきている木像。
あれが空也です。
空也は言います。
「せめて、あの世で幸せになれるように、念仏唱えようぜ」と。
そして、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、極楽浄土にいけるよ、って言うんです。
ギリギリの状態にあった社会に、この考えが広まるんですね。
そして、空也の、この教えが、「浄土教」と言われるんです。


(´_ゝ`)

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