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故人を想う

11月9日は父の命日だ。

数年前に亡くなった父。
元々通院していたけど悪化して入院し、そのまま病院で帰らぬ人となった。
お医者さんからは長くないと言われていたので覚悟はしていたのだが、その日が来た時は静かに泣いた。

悲しさとか悔しさとか後悔とか、そういうのがないまぜになって、ゴチャゴチャした何とも言えない感情の波が押し寄せてきた。
ドラマやアニメのように「わーっ」と声をあげて泣ければいいのだが、それがうまくできない。
涙も出てるのか出てないのかわからなかった。
多分出てなかったと思うけど。
感情が行き場をなくす、とはこういう状態のことを言うのかもしれない。

会社の人や友人たちがめちゃくちゃ心配してくれて、その優しさに謎の感動を覚えた。
え、人ってこんなに温かいの!? みたいな。
鼻の奥が熱くなる、あの感覚だった。

「生まれた時は本人が泣いて、死ぬときは周りの人が泣くんだよ」って会社の人が言ってくれて、何だかよくわからないけど頷いたことを覚えている。
……どういうこと!?
言わんとすることはわかるんだけど、私は未だにこの言葉の真意が掴めていない。
ただ、そういう言葉をかけてくれることが単純に嬉しかった。

父の死からお葬式まではスムーズで、遺品整理が一番大変だった。
(というか現在進行形でまだ本とかCDが残っている)
お寺さんは葬儀社の手配とかお金のこととか色々と気を遣ってくれて、何も困ったことがなかった。

弟は父と同じ職場でその辺の報告とか全部やってくれたし、死亡時の手続きも弟の友人のお父さんが士業の方なのでお任せしてしまった。

私がやったことは父が入院していた病院の手続き関係と香典リストを作るくらい。他は弟と妹がやってくれたので、そこまで大変ではなかった。
親戚への連絡も何か気づいたら誰かがやってくれてた。

あっという間過ぎて、実はほとんど記憶にない。
お通夜の日に予想以上に大勢の人が来て驚いたことは覚えてる。
(泣いてる女の人が結構いたんだけど、どちら様……?)

あと、離婚した母の夢には父が現れたらしい。
私と妹と弟のところには来なかった。何だその差別。霊感の有無か?

普段あんまり考えないけど、死ぬことはすごく怖いと思う。
「無」になるという感覚が未知過ぎて恐怖。
あと100年くらい人間界で遊んでいたい。
100年以上生きれば、少しくらいは悟って「私もそろそろ眠りたい」とか考えるんじゃないだろうか。

そうは言ってもやっぱり死ぬのは嫌。

そんな私だけど、父の死をきっかけに少しだけ考えが変わった。

父は精神的に弱い人だった。
真面目で繊細。
芸術家って感じの人だ。

あの気の弱い父が耐えられたのだったら、私も死の恐怖に耐えられるのかもしれないなぁ、なんて思うようになった。

でも。
私が死んだ後に私がめちゃくちゃ好きなタイプの本とか映画とかゲームとか発売されたらムカつくし、それらを楽しんでいる人類(もしかしたら進化した何か新しい生物がいるかもしれないが)を呪うだろう。
黄泉から現世へ舞い戻って来て、何か浮遊霊とかになってその辺で私もそのコンテンツを享受したい。

最後はほぼ故人を想ってない記事になってしまったが、仏壇に父の好きそうなものをお供えする予定なのであの世で笑って許してくれるはず。
父は娘には甘いのだ。

というわけで明日は3回忌の法要に行ってきます。


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かし子
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