いま思えばかわいいものだった金子岩三農相の事務次官人事介入~ベテラン世襲議員2人は水産業界ドンの息子
岸田内閣の財務相が元首相鈴木善幸さんの息子の鈴木俊一さんで、農相が元農相金子岩三さんの息子の金子原二郎さんとは、タイムマシーンで水産業の全盛期1980年代初頭に戻ったのかと錯覚してしまいます。
親たちは自民党水産族のドン。岩手の善幸さんは定置網、漁協、長崎の岩三さんは大型まき網業界をそれぞれ仕切り、農林水産省の事務次官に水産庁長官を抜擢しようと画策して、同省内に激しい抗争を引き起こしたのが、1983年でした。
しきたり通り食糧庁長官の渡辺五郎さんを次官にしたいという官僚の巻き返しに敗れた岩三さんは引退しました。岩三さんの「最後っ屁」は不発に終わったわけです。
当時、私は担当記者ではありませんでしたが、金子農相が次官にしようとした松浦昭・水産庁長官の自宅の隣に住んでいたので、大臣と官僚たちの人事抗争をめぐる新聞記事を興味深く読んでいました。
松浦さんはその後、食糧庁長官を経て退官、国会議員に転身しましたが、農林水産省への影響力はほとんど行使できなかったのではないでしょうか。霞が関は官僚の掟を破る人に冷たい組織でした。
官邸が幹部官僚たちの仕事ぶりを査定し、次官、局長を決めていく今となっては、大臣でさえ官邸の意向に逆らいにくくなっていますから、大臣と官僚の争いなんて、のどかだった昭和という時代の浮世離れした物語のように思えてしまいます。
ところで、金子原二郎さん、就任記者会見でこんな風なことも語っています。
「(魚の)値段がある程度上がってもらわないと、経営者はね、うまくいきませんよね、漁業者が。だから、私は輸入という問題もね、本当にこれはよく考えていかないと、なかなか日本だけの規制改革をして漁獲調整をしてもね、生産者の価格安定につながるのかなっていう考えは持っていますけどね」
古いというべきか、新しいというべきか、迷ってしまいますが、漁業に対する関心は歴代の農相の中でも高い方であるのは間違いありません。金子原二郎さんを議員会館に訪ねて、長崎県のお粗末な太平洋クロマグロ資源管理の問題に関連して意見を求めたり、議会での質疑を傍聴したりした程度のお付き合いしかありませんが、これからの仕事に注目しておこうと思います。