うつは突然に③
適応障害を乗り越えたと思ったら、ヤツが潜んでいた。心のダムの水底で。職場に復帰できたのも束の間。前回の記事では、そいつの正体をモササウルスみたいなやつだと書いた。クジラみたいな図体のモサちゃんだが、食欲が旺盛すぎるのが玉にキズ。ダムの決壊だけなら補修すればいい。だけど、モサちゃんは不安感という名の胃袋に僕を飲み込んだのだった。
◆うつの出現
また動けなくなった。感情もない。うつになった人の感想では「コールタール」のようなドス黒さと表現されることが多い。今の僕なら「いやいや。本物のコールタールなんて見たことないじゃん(笑)」と笑い飛ばせるけど、当時の僕は本当にコールタールみたいだと思っていた。感情はないものの、モサちゃんの胃袋の中で不安感という胃液が僕を襲っていた。
入院するほどのレベルではなかったけれど、こんなに苦しいなら死んだ方が楽なんじゃないかと思うこともあった。自分は最低の人間だと大真面目に思っていたし、こんな人間に関わってくれる人なんていないだろうと考えていた。過去の嫌な記憶がフラッシュバックするし、どんなに考えても明るい未来が描けない。モサちゃんの胃袋にいるのだから当然の話だった。
◆戦い方の変更を求められる
こういう時の彼女の強さはビックリするほどで、あれよあれよと病院の予約を取ってくれていた。心療内科は驚くほど利用者が多い。1~2週間予約待ちなんてザラで、中には1ヵ月待ちなんてこともあるようだ。モサちゃんの胃液はそんなことお構いなしに僕を消化しようとしている。幸運にも、1週間後に予約が取れて、病院へ駆け込んだ。
診断書の病名欄が適応障害からうつに変わった。先生曰く「薬が効いて、モチベーションが戻るまでは『決断』することはやめましょう」とのこと。不安感が強い時に決断をすると、その決断にも不安を感じて負のスパイラルらしい。第1Rとは戦い方が違っていた。最初は、ダムの弱ったところを補修することが第一だった。今回は補修する作業員そのものがモサちゃんに飲み込まれたのだから、まずモサちゃんに吐き出してもらわないとダメだ。
◆ピノキオの総力戦
クジラに飲み込まれたゼペッドじいさん。ではなく、モサちゃんに飲み込まれた僕。何人ものピノキオがモサちゃんの胃袋に飛び込んできてくれた。全部は書ききれないけれど、会社の先輩ピノキオを紹介したい。会社を休んでいたのだけれど、あるときメールをしてきてくれたのだ。何度も連絡をくれ、そのたびに同じフレーズをかけてくれた。
「かっこ悪くても、情けなくてもいいんです。自分を受け入れてあげてください。そのままの自分でいいのです」
ここが急所だった。僕の対うつ戦の203高地と言っても過言ではないはずだ。小学生の頃からだろうか。否定的な言葉を受けることが多かった。心のダムには、美味しくない餌が溜まり、モサちゃんはそれを食っていた。そうして、いつしか自分で自分に「できないヤツ」と暗示をかけてしまう思考回路になってしまっていた。
◆認知療法という名のたき火
先輩ピノキオからヒントを得た僕は、認知療法を自分なりにやってみることにした。カウンセリングを受けたわけではないけれど、認知のねじれを自分なりにほどいてみた。思考のねじれなんて堅苦しく書いているけれど、簡単に言えば「極端な思い込み」と理解してもらえば良いと思う。
「今日仕事でミスをした。自分は最低な奴だ」
「周囲の人もミスをするでしょう?なんで自分だけ責めるの?」
「メールの返信がそっけなかった。嫌われているんだ」
「本人にそう言われたの?根拠は?忙しかっただけじゃない?」
「100%の出来でないと提出してはいけない」
「白か黒かだけだったら何もできないよ。30%でも良いから前進しよう」
こういった感じで、自分の感じたことに対して反論をしていく。もちろん、薬が効いてきて落ちついた時からでないと、不安感が強まってしまうかもしれないので慎重にだ。思考や認知には癖がある。同じ状況で、感じるものは人によって違う。ということは、考え方は複数あるということだ。
◆認知を選び出す
例えるなら、思考や認知をケーキ屋さんのショーウィンドウのようなものと考えてほしい。イチゴのショート、チョコレートショート、タルトやチーズケーキ、モンブランにティラミスと種類豊富だ。感じ方もこれと同じで、一つの状況に怒りもあれば不安もあるし、プラスもあればマイナスもある。
「あなたにはチョコレートケーキが1番あっているのよ」
こうやって言われ続けていたらどう感じるだろう。
「いろんなケーキがあるんだから、違うものも食べさせてよ」
「チョコにイチゴを乗せたら、イチゴのショートも食べたことになるな」
「俺はチーズケーキ命なんだから黙ってろ」
「そうか、私はチョコが1番あっているんだ」
「チョコがあっていると言われてるから、チョコなんだろう」
千差万別だと思う。これはケーキだからポップな感じになるが、下のように言われたらどうだろうか。
「あなたは才能のない子だから、〇〇はしてはダメ」
この〇〇には何を入れてもいい。こう言われてナニクソと思える人は、うつになりにくいだろう。じゃあ違うことやろう!と思う人も然り。僕もそうだったけれど、うつになりやすい人は才能ないんだ…と思ってしまう。考え方には選択肢があるのに、そういうものしか選ばなくなってしまうわけだ。
僕はそうした認知のクセを直すべく、浮かび上がった考えにひたすら反論を挙げるようにした。まるで、卓球のラリーのように何度も反復だ。いつもの味のエサだと思って飲み込んだモサちゃんだったけれど、何か違うぞと気づいたのだろう。とうとう、僕を吐き出した。
◆今回の一言
どんなに考えても堅苦しい言い回しになってしまったので、今回の記事は面白くなかったかもしれない。この記事の内容は、あくまで僕個人の体験談なので、完璧な正解だとは思わないでほしい。それでも、一言書くとするならこれしかない。
「考え方には選択肢がある。自分のクセを見抜けるかどうかが重要」
これが絶対的な考え方だと思わず、一度考えられる反論をしてみてほしい。認知療法に限らず、実生活でも有用だと僕は思う。