【考察】 『アルジャーノン』はエルマの夢?
ヨルシカの楽曲『アルジャーノン』は、小説『アルジャーノンに花束を』をオマージュして作られています。その為、歌詞の中に小説の内容に関係するものがいくつか登場します。
しかし歌詞を読んでいて、これはとあるものと共通する世界観が描かれているのではないかと思ったので解説いたします。
アルバム『エルマ』の初回限定盤には、エルマがエイミーの後を追ってスウェーデンを旅した時に記した日記帳という特典がついてきます。
そのエルマの日記帳には、以下のようなことが書かれています。
これは『アルジャーノン』の歌詞“僕のまなこは また夢を見ていた”と非常によく似ています。そして日記帳のこの続きには、エルマが見た夢の話が書かれています。
エイミーについていき森の教会へ入ったと思うと、目が眩んで海辺にいる。月明かりに照らされる海の表面に、百日紅の花が浮いている海辺で、自分が人形を作らなければいけないと気付く。
以下抜粋
これらも『アルジャーノン』の歌詞に、似た表現がされているのがお分かりでしょうか。
“あなたはどうして僕に手を作ったんだ”
“少しずつ崩れる塔を眺めるように”
さらにエルマという名前もエイミーによって名付けられたものだということが、日記帳の中の以下の文で分かります。
これも“あなたはどうして僕に名前をくれたんでしょう”という歌詞に一致します。
またエイミーとエルマの物語の根幹には、井伏鱒二の『山椒魚』があることをご存知でしょうか。『山椒魚』とは、どんどん体が大きくなって、岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、ある日岩屋に迷い込んだカエルを閉じ込めてしまう話。エイミーを失った虚無感や焦燥感が、彼の遺した詩によって、どんどん肥大化していってしまうエルマを、山椒魚になぞらえて2人の話が作られているんです。
ということは歌詞の中にある“少しずつ膨らむパン”とは、エルマを表しているとも言えないでしょうか。そしてゆっくりと変わっていく貴方とは、エイミー。
ここまでをまとめるとアルジャーノンの歌詞は、エルマがまだエイミーの呪縛から解き放たれず、夢を見ていたときの話。
そして体が大きくなってしまって岩屋から出ることができないエルマを置いて、エイミーはゆっくりと変わっていく、いや、ゆっくりと “生まれ変わっていく”。こう捉えることもできないでしょうか。
特に前世ライブを経験した後だと、それを強く感じます。ライブでのあの一節「貴方はいつかこんなにも美しかった夜のことを忘れてしまうのだろうか」は、アルジャーノンにも繋がるようにも思えますし、これはエイミーにも投げかけられた言葉だったのではと、この考察を踏まえて思うところでもあります。
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