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主観が重要になる分野での統計学、確率の限界

いつだって間違いの根本は主観と客観が分けるのが難しいこと

客観的なことは統計でわかります。正直、現代科学が発達した理由は、研究対象が自分とは関係ないということにして対象を調べることにしたからうまく研究できるようになったわけで、主観をいかに外すかがいつも付きまとうのです。

次はよく話題になる確率の間違いです。男か女かの二択なので男か女は確率は1/2というものです。色々SNSで意見がありましたが、正直主観的な話をしているだけなんですよね。『わたし』にとって二択なだけで、日本の男女別の人口を見れば、別に半々ではないですよね。統計学や確率で表現するのは後者の人口とかの『わたし』がどうとかの話とは関係ない、つまり客観的な数字です。

でも、人類の好奇心が絶えない限り、また抱えている問題の解決方法を探すなら、主観的なことが絡む問題を扱わないわけにはいけないですよね。意識の問題とか美の問題とか意思決定の問題とか、誰かの問題じゃなくて『わたし』の問題として浮かび上がるので、科学的、統計的に分析するのは難しいです。

なんで当たり前のことを記事したのか

『わたし』の問題が統計、確率では表現できないことなんて、何十年も前から言われていることで、私は逆にそんなことをいう方々を馬鹿にしていた節さえありました。でも最近、年を取って頭ではなくて、体感?として理解できるようになって、若い方々やデータの信仰が強い方々に伝えたくなったからです。「今あなたたちは主観と客観の問題をわかった気になっているだけだ。本当には実感できていない」と大声で叫びたくなっただけです。

統計上に『わたし』はいない、つまりMMTでは貧困からも不幸からも抜け出せないこと

マクロ経済学では統計を用いて研究されますが、統計で表現される人間なんてどこにもいないんです。私たちの貧富や幸不幸のような問題はマクロ経済学で真にはわからないです。所得平均とかみて生活がよくなってきたようですとかは学者が思う分にはいいけど、私たちの感覚と違うことを意識してないといけません。無駄に劣等感を感じることになるからです。

これはMMTでも一緒です。何か新しい経済理論に見えるかもしれませんが、内容をよく見るとケインズ派の主張の変形にしか見えないです。所謂マクロ経済学と同じで主観の問題に答えてはくれないです。

脱成長派じゃないけど

世間でいう脱成長派ではないですが、GDPで国が成長しても『わたし』の所得が増えるかどうかはまた別問題です。
なので、『わたし』の幸せを考えて経済を学ぶなら、何が変ったら、私は幸福に近づけるかを研究したほうがいいと思います。
経済成長すれば問題が解決すると思っている層もいるようですが、経済成長をもっとどんなことか考え直すべきだと思います。

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