『論理哲学論考』感想 ~解説も少し~

難解な理由

難解なことで有名な論理哲学論考ですの感想です。読んだ方の多くが難しいという本書ですが、なぜか難解かと読後の感想をつらつら書いていきます。

序文、読んでます?

今回岩波文庫版で読みましたが、凡例の後すぐ序章があるのですが、序章かなり重要です。
実は多くの人が序章に結論が書いてあるのに気づいてないのでは?と思うほどネットにある難解だという感想やレビューは序文のことを書いてないです。

本書が全体としてもつ意義は、おおむね次のように要約されよう。およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない。
かくして、本書は思考に対して限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対してと言うべきだろう。というのも、思考に限界を引くにはわれわれはその限界の両側を思考できねばならない(それゆえ思考不可能なことを思考できるのでなければならない)からである。 

ウィトゲンシュタイン著 野矢茂樹 論理哲学論考 岩波文庫

上の引用からわかるようにこの『論考』の主張、結論は思考されることの表現に限界を引くことです。考えることを表現することに限界がある、それ以上考えたところで表現できないなら人に伝えられなかったり、誤解されたりするなら語る意味がないですよね。だから語りえないことは語るべきでないのです。
なら本文に何が書いてあるのかといえばタイトル『論理哲学論考』にある通りなので論理哲学の論文なので、メタ論理の結論として「語りえないことは語るべきでない」があるのでその結論までの推論が書いてあります。
続けて序文について説明していきます。

おそらく本書は、ここに表されている思想ないしそれに類似した思想をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるだろう。それゆえこれは教科書ではない。理解してくれたひとりの読者を喜ばしえたならば、目的は果たされたことになる。

ウィトゲンシュタイン著 野矢茂樹 論理哲学論考 岩波文庫

これから読もうという人を拒絶するような厳しいことが書いてあります。実際その通りで、独我論と懐疑論の間で悩んだことない方には本書がどのように思考されたことの表現に対して限界を引くか、限界を引くのにその議論が必要なのかとか読んでていてわからなくなってくると思います。本文の後半のどこかわすれましたが、懐疑論についての記述があるので、そこも一つのヒントになりますが、下手したらそこまでいかないともしかしてと、、、とならないので、本書を難解だという方には独我論と懐疑論についてのある種の結論を出そうとしているのを気づかずに読んでいる方も少なくない人数でいそうな気がします。結構な頻度で本文に哲学者の問いの立て方がおかしいやらナンセンスやら意味がないやら批判しているのを目にすると思います。私なんかは読んでいてあぁもうそれ飽きたという気持ちになって飛ばし気味に読むのですが、独我論と懐疑論について書いてあるとわかってないなら、なんでこんなに何回も一部の哲学者に対する批判をしているのだろうとなるはずです。独我論と懐疑論にはかなりウィトゲンシュタインから見たら無意味な議論をしているのを目にしたことがあるのでしょう。わたしも見てもデカルトあたりの独我論者と懐疑論者の論争ってあほくさいのが多いですもん。
次にフレーゲとラッセルの影響を受けて書いた本であることも書いてあります。明らかに命題論理と述語論理を使っていることがわかります。普通に三段論法を使用してとかだったら西欧の伝統としてアリストテレスの名前が出ます。そうではなくて、あえてフレーゲとラッセルの二人に名しか出さなかったことはかなり意味があるはずです。事実本文3章では命題論理の説明から入って、述語論理をうまい具合に引っ張り出してきて、述語論理で推論していくことを宣言しています。
最近私は訳あって数学基礎論の勉強をしていました。ここで少し説明を入れると、数学基礎論は数理論理学やら集合論を主に扱っている数学の一分野です。論理哲学論考で出てくる大きなものの一つに述語論理があるのですが、ちょうど勉強していたことが結構でてきてなるほどなるほどと結構読み進めることができました。
まとめると序文でかなりの情報があります。ここを時間かけて読めば最初の一章、二章はなんて冗長な文章なのだろうと思うはずです。それ以降はなんでこんなに、こんなに、、、となっちゃいます。ほんと難解というか冗長なだけじゃーい、となると思いますよ。

序文がわかるればあとは、、、

序文がわかるとウィトゲンシュタインが本論考でやりたいことがわかると思います。ここで一章以降の解説をしていきますと言いたいところですが、、、そんなことはしーまーせーん。前節にも書きましたが、回りくどいというかなんというか。。。ウィトゲンシュタインは論理的な推論をしていくので、かなり重箱の隅つついてます。突っ込まれまれねぇぞ、突っ込ませねぇぞという感じで普段小説しか読まない方、もしくは自然科学系の専門書しか読まない方には、かなりうざったく感じます。わたしも最近数学のまとめすぎて逆にわからんと言いたくなるような文章ばかり読んでいて息抜き代わりに読んだので、本当最初は何でこんな長ったらしくウィトゲンシュタインは書いてしまったのか、売れなかった理由はこれだろとか悪態付きながら読んでました。ここで一言付け加えると原文読んでないが、訳は多分素晴らしいと思います。哲学書によくある日本語の文章として変なところがなくて岩波版の論考はおすすめです。正直岩波文庫って途中に注釈が入って本文の流れぶった切って読みにくい印象が強かったのですが、論考に関してはそれがなかったので、かなり読みやすくておすすめです。
ただ序文以前にタイトルの意味が分からなった方もいると思うので、
論理哲学については

論考については

あたりを読んでください。
タイトルも序文もかなり引用して解説してしまったので、本文は本のほうで読んでください。
これで論理哲学論考について私が語れることはなくなったのでこの記事はこれにて黙ることにします。

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