「優しい人」ってなんだろう
「〇〇さんの良いところはどこだと思いますか?」
「優しいところです。」
「あなたの理想の女性は?」
「優しくて芯がある人です。」
「優しい」という言葉は、日常生活でしばしば登場する。それはどれも、人物を肯定して讃えるような表現だなと思う。それについて異論はない。
「優しい人」というのは関わらず理想的であるし、増えてほしいものだと願うばかりである。でも、種類があるな、とは思う。「優しい」の本質への距離というか。
中学の同窓会の時の話。
久々に会った私たちは話に花を咲かせ、お酒も進み、ある友だち(友だちAとする)が酔っ払ってしまった。
そこで違ったのは私と他の友だちの行動。
私は「大丈夫?座って休んでた方がいいかも。」と声をかけた。酔っ払うと言っても気分が良くなって少しフラついてるだけだし、本人も「いつものことだよ〜」くらいに言ってるし。これが最善だと思った。他の子とも話したいし、介抱できないし。
他の友だち(BとCとする)は違った。
BはAには聞かず水を持ってきた。「飲んで!」と言って手渡した。Aは水のおかげもあって、フラつきも改善して調子が良さそうだった。帰る時にも、誰にも言わずコンビニに行ってペットボトルの水を買って手渡していた。
CはAが帰れそうにないことを見込んで、自分の車を手配した。Aに「帰るの厳しいかもしれないから、私の車で帰ろっか!」と言って乗せた。また、他にも酔っている子、酔っていない子にも関わらず「乗りたい人は乗って!〇席空いているよ!」と伝えていた。CはAの運転で無事帰ったようだった。(もちろんCはノンアルコールのソフドリしか飲んでいなかった。それは送り迎えを想定してのことだったのか真実は分からない。)
AはBにもCにも多大なる感謝を示していた(と思う。実際にその場面に遭遇していたわけではない)
私とBやCとの違いは何か?
それは、その人に本当に必要なものを判断しているということ。本人の意思よりも先に動いている。
先に「言葉」だけじゃなくて、「行動」をしていること。
もしもの話。私とAが2人で飲んで、Aが酔っ払ってしまったら、同じような行動にはならなかったと思う。水を頼んだし、帰りをどうするかというのを自分ごとになって考えていたと思う。(実際そうなるかは分からないが)その「優しさ」はきっと持ち合わせている。
でも、本質に近い「優しさ」ではない。BやCはたくさん人がいる中でも、Aと真正面から向き合って必要なことを考え判断していた。そこに、世間一般の「優しさ」や「優しい」の株は一切考えていなかったと思う。周りの楽しいこと、自分がしたいことは二の次で、最優先でAのことを考えていた。その真っ直ぐな「優しさ」こそ、本質に近い「優しさ」なのではないだろうか、と思った。
これはベースとして個人が持っている責任感の違いなのか、今までで同じような場面に遭遇したことがある経験の違いなのかそれは定かではない。
でも、きっと最終的に人のためになるのは本物の(と言ったら語弊があるが)「優しい人」なのだと思う。
「優しさ」を持った素敵な友だちを持てたことが私は嬉しい。でももっと、友だちのように上辺だけじゃない本質的な「優しさ」を持てるようになりたい、そう思った。