私は、今も素人だ。
葛飾人。第3弾。
葛飾で過ごす人"葛飾人"に想いを聴き、noteに書き溜めていく。
一人一人の想いが混じり合い、町はできていて、
変わるところ、変わらないところが交差しながら今日も時が紡がれていく。
その日々をnoteに綴っていく。
「自分で決めたことはやり抜く」
「人を思いやること」
先生が大切にしながら生きている大事な二つの心意気。
葛飾区立立石中学校 校長 黒澤晴男先生に注目。
コロナ禍において、全校生徒用のマスクとフェイスシールドを
手作りしたと話題になり、新聞や全国放送でも取り上げられた。
聴きたかったのは、上記事実はもちろんだが、
その背景にある先生の『心意気』だ。
「実は、小学校3年生から6年生までいじめられていました。
6年生で担任になった女性の先生に『自分で解決しなさい』と言われた。
でも先生は、毎週、自宅に通ってくれて話は聞いてくれていたよ。」
と、ご自身の少年時代や教職員になってからの「先生」とのエピソードは数知れない。
「ある日、廊下でいじめっ子に蹴られました。
ここで自分が動かないと何も変わらない、と戦った。」
最後、止めてくれたのはその担任の先生。
止めてくれた耳元で「やったね、黒澤」と言ってくれた。
小学生だった黒澤少年は、
「自分で決めたことをやり抜く」、
そして、
「自分と同じ気持ちには誰もさせない」
という正義感に似た思いやりを強く持った瞬間を経験した。
中学に進学してからは、いわゆる「やんちゃ青年」。
正義感に基づいて、喧嘩をすることもあった。
身長も高く、大きな体格だったため、教室内でも目立った。
関係していない場面でも、
教室で何か起きれば、「おい!黒澤!」と、先生から怒られた。
理不尽と感じることもあった青年時代。
「自分は、生徒にこのような想いはさせない」と、教師を志す。
高校では、ラグビー部のかっこいい先生に出逢う。
一言一句、心に留まる言葉をもらった。
大学時代の教育実習で、先生を呼び捨てしている生徒に出逢う。
「こんな状況はだめだ。この環境を変える」と信念が熟された瞬間だった。
教職試験に合格して、晴れて教師になってからも、多くの先輩先生から、
黒澤先生への言葉は降り注いだ。
「全ての先生との出逢いで教えてもらった。
先輩は経験しているけど、俺は素人。全てを吸収し、
疑問に想ったことは、調べて研究した。
今でも俺は素人だ。みんなから教えてもらっている」
計4時間に及ぶインタビューの中で、
普段、中学校では教えてくれているはずの校長先生から、
「教えてもらっている」という言葉が何度、出てきたことか。
『謙虚に学ぶ姿勢』の大切さを改めて教えていただいた。
「素人である自分だが、自分で調べたこと、
教えてもらったこと、本から学んだことを一緒に働く先生たちと
これからも共有していきたいと思う。
そして、『教育の重要性』をみんなで分かち合って、
学校を一緒に築いていきたいと思う。」
と語る黒澤先生の目力に吸い込まれそうになりながら、話を聞いた。
その目の奥には、ご自身の『親父』の姿が見える。
そう、黒澤先生の『心意気』を育てたのは、多くの先生ももちろんだが、
お父様なのである。
厳しく育てられ、学校で理不尽に責められ、「自分が悪くない!」と
訴えても、「自分で解決しろ」の一点張り。
「信念を貫く」ことを言葉は少ないが体現し続けた父の存在。
「素人だ」と学び、研究を続ける黒澤先生の目の奥には、
父の存在と「親父、やり切ったぞ」と伝える将来の自分が
映し出されている。
今日も中学校の門を通り、生徒を思いやり、教育を土台を固める。
黒澤晴男先生
小金井市の中学校教諭を経て、葛飾へ。
立石中学校8年間、小岩第5中学校7年間、葛美中学校2年間、水元中学校5年間、上平井中学校3年間、高砂中学校4年間の在籍を経て、現立石中学校 校長。
生きる上で、大切にしていること、最後に残るのは、
「惻隠の情」、思いやりの心。
34歳にして、私も恩師ができた。
過去の経験を語る際、うっすらと涙を浮かべながら、振り返り、
一つ一つの経験を糧に葛飾の中学教育を担われてきた先生。
図らずも、私が今、最も必要としている、
「『信念を貫く心意気』を絶対に持ち続けるぞ!」
と決意する勇気をもらった。
先生は、きっと、目の前にいる人に全力で、
思いやりの心を持って、接しているのだろう。
そうすれば、語らずともお互いの想いは通じ合い、分かり合える。
そうやって、生徒ともこれからも向き合い続けてくださるのだろう。
お忙しい中、4時間ものお時間をいただき心より感謝いたします。
先生にいただいた『心意気』、持ち続けます。
黒澤先生がご登場の「心のそなえチャンネル vol.38」配信中!
先生の『心意気』をどうぞご堪能ください。
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