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【小説】神社の娘(第45話 橘平と桜、鳥居を見つける)

 慣れない場所、そのうえ野外での就寝。

 橘平は夜と朝の間の時間に目が覚めてしまった。頭も目も冴えて、もう眠れそうにない。隣の優真は自分の部屋のようにぐっすりしている。

「……どんな神経してんの……人んちの山で」

 朝までテントの内側を見つめ続けるのも辛いものがあり、橘平はそっと外へ出た。3月末のまだ寒さを感じる中、懐中電灯を点け、少し離れた草むらで用を足した。

 戻ると、桜が折り畳みチェアに座っていた。ランタンの灯りをぼーっと眺めている。

「起きちゃったんだ」

「うん。物音がしたから外を覗いたら橘平さんが見えて、ここで待ってた」

「あ、ちょっと厠へね……」

 橘平も座り、やっぱ夜って寒いね、と声をかける。それからしばらく、無言でランタンを囲んでいた。

 灯りをみつめるうちに、桜はあることを思いだした。

「南の山には危険なケモノが出ない、ってひま姉さん言ってたよね?」

「あー、確かに」

「山の中って歩きつくしてる?」

「うん、知らない場所はないってくら……あれ?」

 

 頂上。

 てっぺんまで登ったことあったか?

 上の方は行くなって聞いている。

 誰から聞いた? じいちゃん? 父さん?

 

「どしたの?」

「頂上…上まで登ったことない。行っちゃいけないって聞いてて……」

 いや、誰も言ってない。橘平はハッとした。

「登るな、は、登れ、じゃない?行ってみない?山のてっぺん」

 山といってもそう高くない。まだ暗いので時間はかかるかもしれないし、足元も安全とはいえないだろう。

 危険な動物が出るわけでもない南地域だ。橘平は山のてっぺんに上るのは「今」なのかもしれないと感じた。

「うん、行こう。頂上」

 二人はすぐさま立ち上がり、懐中電灯を手に歩き始めた。頂上へ行ったことはない橘平だが、子供のころから遊びまわっている山であり、なんとなくの土地勘はあった。

「暗い森とか草の中歩くってさ、橘平さんと出会った日みたいだね」

「確かに。雪は降ってないけどね。きっとバケモノも出ないよ」

 足元を確かめながらのゆっくりした足取り。橘平は桜の安全を時折確かめる。

「それに、知らない女の子じゃなくて、友達の桜さんと一緒」

「そうだね。友達と一緒。心強いな。あの時は一人で、しかも二人に迷惑かけたくなくて強がってたから」

「やっぱりー?」

「わ、なにその言い方。まあ、実は辛くて怖くて泣きたかったんだけど、そんなときに橘平さんと出会えてさ。よかったな」

 知らない同士から知り合いになって、いつの間にか友達になった。さらにあの時よりもお互いのことを知って、もっと友達になれた気がする。橘平は今、その思いが強くなった。

「あのさ」

 そして自然に聞いていた。

「さっちゃんとか、さくちゃんとか、あと何かな。向日葵さん何て呼んでたっけ。あの人いつも違うあだ名で呼ぶからなあ。ねえ、これからさ、そういう風に呼んでもいい?」

 桜の足が止まった。また変な発言をしたかと橘平は焦った。

「違うの」

 暗い山の中でそこだけが輝いたような笑顔とともに、桜は橘平の手を握った。

「私もあだ名で呼ぶ!」

 彼女には今まで、友達がいなかった。窓からの光が作る、人や動物に見える何かに名前を付けてみた、ひと時の友達だけ。

 つまり、彼女をあだ名で呼ぶ人間はほとんどいない。逆に、彼女があだ名で呼ぶ人間もそう。どちらも向日葵くらい。

 最近、朋子とは名前を呼び合う仲になった。多分、朋子とも友達だとは思うし、友達だからといってあだ名で呼び合うと決まっているわけではない。

 でも、桜にとって初めての友達、橘平。彼が「あだ名」で、友達同士の呼び方で、より友情を深めてくれようとしてくれている。

 いつ死んでもいいと思ってたのに。友達が出来たら死にたくなくなった。せっかくなら、誰かのために死ねるならいいな。自分が死んで、大好きな向日葵と葵が幸せになれたらもっと、さらに、いい、最高!なんて考えていた。

 でもある時、桜が死んでも誰も、向日葵と葵も幸せにならないと気づき、心だけ死んだ。それでもお腹はすく、体だけは生きたがる。桜はとりあえず生きることにした。

 けれど橘平と出会ってから、単純に「もっと生きてみたい」と思うようになった。今日のキャンプのような楽しいことが世の中にはあり、しかもそれが経験できたのは彼と出会ったからだ。大好きな向日葵と葵の自然な笑顔が見られるようになったことも、きっと彼のおかげ。

 生きててよかったな。

 桜は最近、そう思うことが増えた。

 きっと、これからもっと「生きててよかった」と思える出来事が待ってるんじゃないかと、期待してしまう。「なゐ」について何も解決してないけど、きっと「ある」と希望をもってしまう。

 まもりと仲が良かった一宮のお嬢さんは、どうだったんだろう。まもりとは友達だったのだろうか。まもりのおかげで、自分のように楽しい毎日だったのだろうか。桜は先祖と自分、橘平を重ねた。

「桜さん、学校でなんて呼ばれてる?」

「一宮さん」

「え、名字呼び?」

 学校全体同じような名字ばかりで、名前で呼ぶしかないという文化圏で育ってしまった橘平は「学校なのに名字で呼ぶの?」とついこぼす。

「友達いないし。街の学校だから、いろんな名字の人がいるんだよ。一宮は私だけ」

「そっか、文化がちがーう」

「あ、朋子ちゃんは桜って名前で呼んでくれるようになったんだ! そんな感じ。橘平さんは?」

「橘平か橘平君。よっしーだけ橘平殿」

「あだ名?」

「敬称違いか。桜ねえ。さくら……」

「うーん、橘平。き、き、きーなんだろ?」

 手を繋ぎお互いの呼び名を考えあいながら、二人は頂上を目指した。

 空が白み始め、「さっちゃん」「きーくん」が「呼びやすくていいかな」に落ち着いたころ、先の方にぽっかりと木々の列が終わる場所が見えた。その間から光が差し込んでいる。

「この先が多分、頂上だよ」

 光の方向へ進むと、20人くらいが立てるほどの開けた場所にでた。ぐるりと周囲を見渡せ、山に囲まれた村も一望できる。

 そしてまぶしい朝日ともに彼らの目に飛び込んできたのは、

「鳥居……? だよな?」

 桜の背丈ほどの小さな鳥居だった。


◇◇◇◇◇

 

 二人は鳥居に駆け寄った。桜は真っ先に、額束に彫られている模様に目が行った。お伝え様の神紋である。

「え、これ、お伝え様の鳥居なの?」

「もしかしてあのミニチュア、森の前に鳥居があっただろ?これなんじゃないのかな」

「そうか、そうかも……あ、写真撮ろう、二人に送らな…」

 とは言ったものの、二人とも写真が撮れる道具を持っていなかった。スマホはテントでお休み中だ。

「いや、二人も連れて来よう。写真より見てもらった方がいいよ」

「そう、そうね…あ」

 かがんで鳥居をくぐろうとした桜は、目の前の風景からあることに気付く。

「目の前にお伝え様がある……」

 八神の鳥居は、神社の正反対にあったのだ。

 鳥居からまっすぐ見える景色は、円形の森、そしてお伝え様。

 あのミニチュア通りだった。

「もしかしたら、ここが一の鳥居、神社の入口にあるのは二の鳥居なのかもしれない。ここから何かが始まっている?」

「何か、何だろう」

「うーん、きっと封印の何か!森だって誰かが言ったわけじゃないのに、入っちゃいけないって、みんな思わされてる。この山の頂上もそう、きっと、何か、何か…」

「それは、今ここで考えても分からないけど、一歩前進できた。きっとそうだよ」

 朝の光は鳥居の二つの柱の間を抜け、橘平と桜を眩しく照らした。


◇◇◇◇◇

 

 二人がテントまで下山すると、ちょうど、テントから這い出てきたぼやけ顔の優真に遭遇した。

「あれ? もう起きてたの君ら?」

「ええ、優真さんよりちょっと早く。お散歩してきました!」

 もー誘ってよお、と言いながら、優真はよいしょと四つん這いから二足歩行に進化した。

「じゃあ朝ご飯の準備するか。えっとお湯沸かして……」と、橘平は鍋をコンロにのせ、ペットボトルの水を注いで火をつけた。

 朝ご飯はカップのコーンスープとコッペパンだ。

 お玉で鍋から湯をよそい、即席カップに注げば、あっという間にできあがり。昨夜の即席ラーメンの匂いも、朝の山に広がる甘いインスタントスープの香りも、彼らの一生の思い出に残りそうだった。

 そして桜の持ってきた「とっても美味しい」コッペパン。缶詰のツナとコーンを昨日ラーメンを食べたものと同じ使い捨ての丼の中に入れてマヨネーズを加え、切込みに詰めた。

 パンは桜と母で一緒に作ったという。温かみのある家庭の味で、本当に「めっちゃうま!」。男子二人のテノールユニゾンに、桜の可愛いソプラノの笑い声が重なった。

「桜さん、よく聞くとかわいい声だね。やっぱアイドルだ。歌ってほしい。僕が好きなアイドルの曲で『ライジング・ヘリアンサス』というハッピーでカワイイ歌があって、あ、今かけるから覚えて」

「優真、そろそろ気持ち悪いからやめろよ」

「え? 何が?」

 顔だけ笑う桜だった。

 優真は気にせずスマホで『ライジング・ヘリアンサス』を流し始めた。彼の言う通りのハッピーでカワイイ歌が流れる中、彼らは朝食を食べ続けた。


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