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【連載小説 第26話】初対面の小学生女児から「お父さんと結婚して」と言われた35歳、無職。

●第26話 ケンカする両親をぬいぐるみとのぞく娘

 ららぽーと事件の夜。まつりと駿はアニメの最終回を視聴した。エンドロール後も、まつりは止まらない涙をフェイスタオルでぬぐう。

「あー、えー、映画ってどうなるのー?」

 同じくぐずぐず泣く駿が「ま、真冬によると映画も泣けるみたいで。日曜、観に行こう」

「真冬ちゃん、都合よく遊ぶかな」

「聞いてみる」

 まつりはそっと、駿のひと指し指の第1関節の上に、自分の第1関節を乗せた。瞬はゆっくりと指を引き抜き、彼女の手を包む。お互い、その手をみつめる。

「……今日さ、まなみにいろいろ突っ込まれたと思うけどさ、気にしないでね」

「き、気にしてないけど……」

「お姉さん……このみさんのこと、聞いちゃった」

 駿は顔を上げた。まだ手をみつめるまつりの頭を見下ろし、「は? え」

「のんびりのろのろ、生きていこうよ。心の中、整理しなくていいから」

「そ、それはダメだよ。もうちょっと待ってて、そしたら俺、まつりさんに」

「このみさんへの気持ち、無理して消さないで」

「む、無理じゃない、俺はまつりさんだけを思いたい。まつりさんと真冬と、一緒に生きていくために」

「だからだよ」

 まつりも顔を上げ、駿の手を取る。

「私とだけ生きていくなら、忘れてほしいって言ったと思う。でも真冬ちゃんがいるでしょ? このみさんが好きだったから、娘として愛情を注げたんだよ」

 駿の呼吸が不規則になる。

「だから、必要な気持ち。これからも真冬ちゃんを愛するためにも、このみさんが好きな気持ち、持ってて」強い瞳で駿に語り続ける。うっすらと、感動とは異なる涙を浮かべながら。「私は、そのままの駿君がいいの」

 この言葉に嘘はない。けれど、自分だけ見てほしい欲もある。どちらの気持ちも真実で、同程度に心を支配する。

 でも。駿や真冬のためには自分の欲は封印し、二人の未来を優先すべきだとまつりは結論を出した。

 拮抗する真実に苦しみながらも言い切ったまつりは、立ち上がって自分の部屋へ入っていった。

 扉を閉め、タオルを顔にあてる。しばらくそのままうつむいていると、コンコン、と扉を叩く音がした。駿であることはわかっている。でも、まつりは返事ができなかった。

「入っていい?」

 まつりはタオルを顔から外し、扉に口を近づけ「……だめ」

「じゃあ、このまま話そう。まつりさんの気持ちは嬉しいけど、俺はこのみへの気持ちを無くす。待ってて」

「いいって言ったじゃん、そのままでいいの」

「どうして」

「さっき言ったでしょ。このみさんが好きだから、これまで真冬ちゃんを育ててこれたって」

「これからはまつりさんと育てるんだから」

「真冬ちゃんの本当のお母さんはこのみさん。このみさんの良いところや愛情を知ってるのが駿君。ほら、必要」

「で、でもさ……」

 そのままの彼でいい。このみへの気持ちも含めて寄り添いたい。その意志をなかなか受け入れてくれない駿の態度に、まつりは足をゆすり始める。

「あー、好きなままでいいって言ってんのに、何が不満なの?」

「ふ、不満はないけど、ほんとに? まつりさん、ほんとにそう思ってるの? 俺だったら嫌なんだけど……」

 ぷちり、っと体の中で何かが切れた。まつりは思いっきり部屋の扉を押し開ける。駿はごろんと、尻から転んでしまった。

 まつりはどしどしと足音を立てて部屋から出、タオルを駿の顔に投げつけた。

「何それ……俺は嫌?」拳を握りながらしりもちを付いた駿を見下ろす。「私は良いって言ってるんだから、それで終わりにすればいいでしょ! むっかつく!」

 駿は手を押す勢いで立ち上がった。次は駿がまつりを見下ろした。

「ひ、人にされたら嫌なことはしない。だから俺は、変わる。新しい自分になって、まつりさんと向き合う」

「新しくならなくていい。だって駿君も、頑固で融通がきかなくてお節介な私でいいっていってくれたじゃん。私もこのみさんを好きな駿君でいいの!!」 

 まつりの気づかいは有難いけれど、彼女だけをみつめたいという気持ちを分かってくれない。そのもどかしさに、駿は子供の癇癪のように声を荒げる。

「嫌だ!」

「もう、何なの意味わかんない。じゃあ勝手に一人で頑張んなよ」

「うん。このみのこと好きじゃなくなったら、まつりさんにプロポーズするからな。断るなよ」

 まつりの息が止まり、目が大きく見開かれる。苦しさに気付いたところで、大きく呼吸し直す。

 努めて冷静に「無理して結婚なんてしなくていい……断るも何も、そんな日、死ぬまで来ないから」

「来る」

「なわけない。真冬ちゃんのお母さんをそんな簡単に忘れられるんだ?」

「じ、時間はかかるかもしれないけど」

「ぐずぐず屋だもんね」

「ひど! か、変わるから! もうぐずじゃなくなる!」

「人間そんなすぐには変わんないよ」

「なんだよ、応援してくれったっていいじゃないか! ばか!」

 初めて駿から吐かれた暴言。そんな言葉が気弱な彼から出てくるとは思わず、衝撃だった。同時に腹も立つ。

「ばか!?」投げつけたタオルを拾い、次は駿の腹にぶつける。「ふざけんなもやし! あんたの性格に合わせて寄り添いたいって思ってるのに、なんで否定するのよ」

 駿は天パの頭をぐっしゃぐしゃにかきむしり「あー、頑固だな、ほんと頑固でお節介だよ、それって寄り添ってない。押しつけじゃないか」

「おし、つけ……」

 自分の希望を通すのはもちろん押し付けだが、寄り添いたいも押し付け。何をしても、自分は押し付け。真冬にもストレスになるような事を押し付けてしまっているのでは。やはり人と暮らす才能がないんだと、まつりは無力感を味わう。

 急にしんとしてしまったまつり。駿は傷つけてしまったのかと、動揺する。

「あ、あ、ごめん」

「ケンカしてる」

 突然、真冬の声がした。二人は同時に声の方を振り向く。小林に買ってもらったかわちいと、友人と遊びに行った時に買った小さなワレハチのぬいぐるみを抱えた真冬が、リビングと廊下をつなぐ扉を半分開けて、こちらを覗いていた。

 まつりは駆け寄り「してないしてない。ごめんねうるさくて。アニメの感想を言い合ってただけだから」

「うそ……ケンカだったもん……仲悪くなったの? 別れちゃうの? 私のお母さんやめるの?」

 真冬の眉はきゅっと寄り、目に脅えが見える。子供を不安にさせてしまったことに、まつりは罪悪感を覚えた。

「ずうっとお母さんだよ」と、真冬を抱きしめる。

 真冬はチラと視線を下に向け、パジャマの胸ポケットから顔を出すスマホを見た。

「……じゃあ、一緒に寝ていい?」

「うん、いいよ」

 まつりは真冬の背中を押し、リビング横の自分の部屋に入る。あけ放たれたままの扉を閉めようとすると、

「お父さんも来て」

 と、真冬が呼びかけた。駿はちらっとまつりを見る。まつりは軽く顔を動かし、どうぞと促した。

 まつりが部屋の電気をつけようとすると、真冬は「電気……」と胸元の方に呟き「あ、暗いままで」と、とめた。そしてベッドの真ん中に腰かけた。その両脇にまつりと駿が座る。二人がしっかり座ったのを確認した真冬は、すっと立った。

「トイレか?」

 すたすたと歩いていき、「おやすみ」と部屋を出て行ってしまった。

「え、真冬ちゃん」

 真冬が閉めた扉の余韻が、ほの暗いまつりの部屋に広がる。

 落ち着いてしまった2人は、先ほどのように言い合う気力が失せてしまった。しばらく無言のまま並んで座っていたが、駿が口を開く。

「ごめんなさい、ばかとか頑固とか言って」

 まつりは前を向いたまま「ううん、ばかで頑固だもん」

「違う、まつりさんは優しい良い人」

「駿君の方がもっと優しいよ。ありがとう、私だけを思いたいって」

「感謝されることじゃない、当り前だから。まつりさんと生きたいから」

 まつりは真冬が抜けた分、駿の方へじりっとおしりから移動する。

「本当に、無理しないでね。そのままで良いんだから。このみさんの素敵なところを知ってるのは駿君だけ。それを真冬ちゃんに伝える義務がある」

 駿もちょこっと横へ移動する。

「……うん」

「このみさんを好きって気持ち、すべてなくすのは違うと思うよ」

 二人は同時に向き合った。今ならと、駿はまつりの両肩に手を置く。今度はまつりも駿を受け入れようとしたが、まなみの言葉が蘇ってきた。

――深めにやってやれよ。

 まつりは自分の顔を両手で隠した。

「えええ、なんでぇ」

「まなみの言う通りになるなんて心底イヤ」

「あれって、まつりさんからするって意味で俺からなら」

「それでもダメ!」

「あ、浅めなら」

「ダメなものはダメ! あの子の呪いが解けるまで無し! 明日仕事なんだから寝る寝る」

 まつりは部屋を出るようにと、駿の背中を叩く。

「あ、あ、ちょっとだけ、ちょっとだけ話そう。10分でいいから」

 鼻からふんと息を吐き「10分だよ」

 

 自分から話そうといったくせに、駿は唇を閉ざしたまま、並んで座っているだけだった。それでも別にいいけれど、まつりはつっこんでみた。

「喋んないの?」

「へ? あーえーと」

 何も話題がなさそうだったので、話しかけた手前、まつりから話題を提供した。

「私さ、今日気づいちゃったの」

「何に?」

「私も、根はまなみやおじいちゃんと一緒だなって。二人さ、私の彼氏を事件級に半殺しにしたでしょ? 実は、お父さんも似たようなところあって」

 佐藤家の遺伝に、駿は背筋が凍る。まだ出会ってないまつりの父にも、細心の注意を払おうと心に決めた。

「家族が傷つけられて憎い気持ちはわかるけど、あそこまでやる神経が理解できなかった。他にもやりようはあるのに。でも今日、まなみが真冬ちゃんの頭を押したの見て……ぶっ殺すって思った。本当はぶん殴ろうと思ったけど、理性が戻ってきて直前でパーに変えた」

 まつり自身にも意外な感情ではあったが、真冬が自分の「娘」になったからこそであった。それによって、佐藤家の血が覚醒してしまったようだ。

「真冬ちゃんがイジメに遭ったら、相手の子供と家族、半殺しにする自信がある」

「……」

 カーテンから月明かりが差し込み、まつりの目元を照らす。

「こんな私でも一緒に生きてくれるの?」

 駿はごくりとつばを飲み込む。信一とまなみ、あの二人と血縁であることをうかがわせる瞳の輝き。

「……う、うん。俺が、半殺しさせないから、大丈夫」

 何それと、まつりはくすりと笑った。駿にとっては笑い事ではなく、本当に行動してしまいそうで怖かった。そう感じさせる才能を見出してしまった。

 まつりと、一生、暮らす。

 自分からまつりを家に住まわせ、当り前のようにプロポーズするとは言ったが、彼女との暮らしは意表を突くようなトラブルの噴出を予感させた。このみとの同居で、好きな人と暮らすことは楽しいばかりではないと学んではいる。が、目の前の人は目の前の人で一筋縄ではいかなそうだった。

 死ぬまで攻略できないゲームを始めてしまったのか……この瞬間、駿の周囲に悩みの種が撒かれた。それが芽吹くか、芽吹いた後どうするかは、この先の彼らの選択次第である。

 実は危険な女性かもと勘づき胃腸の負担を感じるも、彼女が隣にいることは単純に嬉しい。10分以上居座ろうとした駿だが、まつりはきっかり10分で彼を部屋から追い出したのだった。

◇◇◇◇◇

 真冬は自分の部屋に戻ると、胸ポケットからスマホを出す。画面には<小林倫太郎>と表示されており、右耳のワイヤレスイヤホンを抑えながらこそこそ話し始めた。

「倫太郎おじさんの言うとおりにしたら、本当にケンカ止まった」

『でしょ?』

「すごい、魔法みたい。またケンカしたら相談していい?」

『いつでもどうぞ』

『良かったな、ふゆ子』

 まなみも電話口にいるようで、昼間とはうってかわって優しいお姉さんといった声色だ。

 真冬は寿司をおごってくれる人兼ゲームのフレンド兼相談相手と、何もなければ優しいお姉さんを手に入れた。

「うん」

『明日の朝ご飯の時、お父さんに〈メロンは食べた?〉 って聞くんだぞ』

「何それ?」

『本当に仲直りしたか確認する暗号。まなみさんにはわかるのさ』

「ふーん。分かった」

 真冬はまなみの言いつけ通り、納豆と卵焼き、味噌汁とご飯が並ぶ朝ご飯の席で「お父さん、メロンは食べた?」そう聞いてみた。

 駿は理解できず「何それ? 食べてないよ」

「そっか」箸を握り、納豆をぐちぐち混ぜる。

「どうしたんだよメロンなんて」

「まなみさんがお父さんにそう聞けって」

「はあ? 変な人」

「そんなこと言ったら、まなみさん怒るんじゃない」

「いいい、言うなよ、マジで!」

 まつりはしっかりと妹の面白がりを検知した。「まつりの胸」の事である。まなみの昼休みに合わせて電話し、「子供になんてこと言わせんの!!」と大噴火した。

 まなみは電話の向こうで『仲良しみたいで安心したわ!』爆笑していた。


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