【連載小説 第8話】初対面の小学生女児から「お父さんと結婚して」と言われた35歳、無職。
●第8話 一言余計な女性
土曜はお昼ご飯を作った後、まつりは真冬とゲームしたり散歩に行ったりしていたら夕方になって、なぜか駿と台所に立つことになった。
真冬が「お父さん暇なんだから手伝いなよ」と無理やり台所へ押し込んできたのだ。
まつりの勝手な想像だが、彼はあまり料理はできない方だと見ていた。と思いきや、手際よくキャベツを千切りにしていた。専用グッズを使ったように細い。
その手元を興味深そうにのぞき「すっごい上手ですね、千切り」
「姉の妊娠中からよく俺がご飯作ってましたし。昇進してから疲れてやる気がでなくて……」
冷蔵庫の食材や真冬の話から、わびしい食事をイメージしてしまったのは余計なお節介だった。やはり仕事が忙しいだけの話。手際を見る限り、駿は料理が上手そうだった。
真冬が細いのも駿の体型とそっくりで、ただの宇那木家の遺伝のよう。まつりはいろいろ勘ぐってしまった自分の非を心の中でわびた。
「佐藤さんの栄養のあるご飯のおかげか、やる気がでてきました」
「お役に立てたなら良かったです……でもほんと、お節介ですいません。料理上手な人に料理をふるまうなんて恥ずかしい」
「上手なんかじゃないですよ、ちょっと包丁持てる程度で」
「真冬ちゃん、お料理覚えたいなんて言ってたけど、お父さんから習えばいいのに」
ざくり、とキャベツに包丁を入れたまま、駿の手が止まった。
「……ああ、遠慮してるのか」
「え?」
「そういえばアイツ、おねだりしないな、って。ゲームは俺の仕事関係や趣味で買ったソフトで遊ぶし、服や靴は小さくなったら申告してくれるからそれでたまに買うだけ、おもちゃもあんまり欲しいって言わないし……」
その話でまつりも思い当たることがあった。真冬の部屋を見せてもらったが、子供の部屋とは思えないほどモノがない。
人形やおもちゃはなかった。本棚の本も、好きだと話していた漫画といくつか。ランドセルやお出かけ用のカバンにキーホルダーなどのアクセサリー類も見当たらなかった。学習机の上には教科書とノートなど、勉強に必要な物だけ。ベッドには布団と枕以外に、抱き枕とかぬいぐるみといった余計なものはない。すっきりした部屋で、黒の電子ピアノがどっしりと目立っていた。片付け上手な子だと感心したが、違ったようだ。ポニーテールに結うゴムも、装飾のないただのヘアゴムである。
「全然、気が付かなかった。いつも元気だから。そういや飯の文句も言わない。おねだりって少し前のピアノレッスンくらいか? でも習い事は必要だし……あ」
駿はまつりに顔を向けた。
「お母さん、か」
まつりの前にあるコンロの魚焼きグリルから、ぱちっと音がする。
「真冬のわがままらしい初めてのわがまま。佐藤さんに、お母さんになってほしい」
脂ののった鮭の匂いが香り始めた。
「これまで全然わがまましなかったアイツが欲しいなんて、佐藤さんはお母さんとしてとても魅力的なんでしょうね」
まつりはグリルを開け、鮭をひっくり返した。頑固な自分に、そうした女性らしい魅力があるとは到底思えなかった。
「遠慮しなくていい人なら、誰でも良かったんだと思いますけど。これまでいろんな人連れてきたって」
「うん。見た目が姉に近い人をね。どこで見つけてくるのか不思議なくらい、みなさん似てたよ」
「どんな感じなんですか? 似てるって」
「長い黒髪で、細くてすらっとしてて、少し肌が日焼けした感じの黒さで、切れ長の目で大人っぽいっていうか。あれの主役やってた女優によく似てるって言われてて、それで……」
その特徴は真冬とも酷似していた。
一方のまつりは、茶髪のショートヘア、平均的な中肉中背、真っ白な肌、まるっとした目。童顔で若く見られがち。似てる女優などいない。
「……指が細くて長い人」
姉を語るその瞳は、スーパーの時と同じく優しげで、悲しみも感じた。駿は相当、姉を慕っていたようだ。
「私と正反対ですね」
「あー……佐藤さんを初めて見た時、いつもと違うタイプだなあって。それに助けてくれたって言うから、今回はそういう女性じゃないと思ったんですよ」
駿は残った千切りを終え、キャベツをボウルに放り込んだ。まつりが用意した調味料をいれて先に切っておいたきゅうりと和える。
「じゃあ私も、お姉さんに似た人探してこようかな」
まつりはデートに誘われて嬉しかった。しかし、駿の姉には勝てそうにない。身内の女性に勝ち負けはおかしいかもしれないけれど、遊びたい盛りを姉とその娘に捧げた駿だ。相当素晴らしい人物だったに違いない。パートナーになれるかもと勘違いした自分が恥ずかしかった。
「なんで」
「真冬ちゃんは、私みたいな友達になれそうな人がいいのかもしれませんけど、宇那木さんはお姉さんみたいな人がいいですよ」
「……」
「やだなあ、さっきお姉さんだと思ってだなんて言っちゃった。お姉さん、すごい美人でしょ? 真冬ちゃんも美人さんになりそうだし。ブスの私じゃ代わりになんてなりませんでしたね。やだやだ、本当に一言余計なの私。だから誰かと生きていくことはもう諦めたけど、仕事はしないとさ……この性格直さないと……仕事……」
まつりは気付いてないのか、焦げた匂いが駿の鼻に漂ってきた。駿は手を伸ばし、まつりの前にあるIHコンロの魚焼きグリルのスイッチを押した。
そこでまつりは、鮭の匂いに気が付いた。訳も分からず、涙が零れてきた。
「え、さ、さ、佐藤さん!?」
まつりはその場にぺたんと座り込み、「なんでこんなにダメな人間なんだよお」静かに涙を流し始めた。
部屋から飲み物を取りに来た真冬は、台所に入るなりこの光景を目にし、「あ! お母さん泣かせたの!? 超サイテーじゃん!! せっかく料理デートにしたのに最悪!!」と、激しい口調で叩きつける。ずんずん台所に押し入り、駿をどけてまつりを抱きしめた。
「お父さんにいじめられたの?」
まつりは何も答えず、涙を流し続ける。
それをただ見下ろしていただけの駿だったが、小さな声で、呼びかけた。
「さ、さと、佐藤さん、あの」ズボンのポケットのあたりをぎゅっとにぎる。「ひ、ひと、一言余計、じゃないです。俺は佐藤さんのおかげで、娘の事に気付けました。佐藤さんが教えてくれなかったら俺は、ずっと、真冬の我慢を知らなかった」口の中に火が放り込まれたように熱くなる。「佐藤さんはダメじゃない。いい人です。せ、性格直す必要なんて、な、ないですよ。俺はそのままで」いいと思う、と続けようとしたが、駿は熱い唾を飲み込み「そのままがいいです」
「うんうん、なんかよくわかんないけど、私は今のおかーさんが好きだよ」と、真冬はぽんぽんとまつりの背中を叩いた。
まつりはゆっくりと顔をあげ、真冬を優しく抱きしめた。
「ごめんなさい。夕飯作るから」
「無理しなくていいよ」
「ううん、作る。お部屋、戻って」
まつりは流し台に手をかけ、徐々に立ち上がる。それに合わせて真冬も立った。
流れる鼻水に対処するため、まつりはダイニングテーブルへ向かい、その上に置いてあるティッシュボックスを手に、テレビ横のゴミ箱の前に座って鼻をかみ始めた。
「真冬、部屋戻ってろ」
「お母さん」
「俺がいるから」
真冬は駿の顔を見上げた。冷蔵庫を開け、オレンジジュースをマグカップになみなみ注ぐと、部屋へ戻っていった。
駿は台所を出て、ちーんと鼻をかむまつりの後ろに立った。そしてゆっくりと正座した。
時々、夜中に泣いていた姉の後姿が重なった。
あの時も見ているだけで、何の力にもなれなかった情けない自分。姉にちょうどいい慰めの言葉もかけられなければ、背中をさすったり、胸を貸したりもできなかった自分。
今も同じ自分でいいのか? おそるおそる、まつりに手を伸ばす。
「私」
駿がまつりの背に触れる直前だった。その声に手を引っ込める。
「二人に迷惑かけてばかりですね。そもそも、真冬ちゃんに着替えを貸すんじゃなくてそのままあげて、家になんてついてこなければよかった。余計な行動が真冬ちゃんにお母さんを欲しがらせてしまって、宇那木さんを困らせて。いっつも余計な事しかしない。もうやだ」まつりは駿の方を振り返り、視線を下げたまま「ご飯作ったら帰ります。真冬ちゃんには申し訳ないけど、明日イオンに行かない。もうこの家に来ません」
いつもいつも。
家族からも学校でも職場でも私生活でも、まつりの「悪い癖」だと指摘され続けてきた性質を、駿が初めて肯定してくれた。意味はわかっていないながらも、真冬もそのままの彼女を受け入れようとしている。
優しい二人に甘えられたら楽なのかもしれない。でも、それは迷惑でしかないはずだ。別れたくない気持ちが生まれる前に、まつりは縁を切らねばならないと強く決意した。
真冬は年齢からして、もう、そう手がかかることはない。駿は30代前半とまだ若いし、これから素敵なパートナーに巡り合える可能性は十分にある。彼の選んだ人なら、真冬にとっても素晴らしい家族になれるはずだ。その段階でお母さんと呼ばれる他人、しかも余計なおせっかいしかしない女は邪魔でしかない。
まつりが夕飯づくりを再開しようと立ち上がると、駿が手首をつかんだ。
しかし、何することも、いうこともなく、無言のまま時が過ぎていった。駿の手の平から汗がじわじわ吹き出し始め、まつりの手首に湿気がこもる。
「お、お、お礼」ようやく、駿が口を開く。「お礼してないのに」
「お礼される人間じゃないから。お家の中をかき乱してごめんなさい」
駿はもう一方の手首も取り、ぐわっと立ち上がった。まつりはあまり意識していなかったが、改めて向き合うと、駿は痩せているとはいえ背が高く、迫力があった。
「明日も一緒に朝ごはん食べて、そしたらみんなで一緒にイオン行こう! 俺は3人でイオン行きたい!」
娘のせいにして夕飯を依頼した駿、どこかでまつりと区切りをつけねばと思っていた駿が、はっきりと自分の意志を伝えた。