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【連載小説 第28話】初対面の小学生女児から「お父さんと結婚して」と言われた35歳、無職。

●第28話 思い出を語るお父さんとそれを聞くお母さんと娘

「また明日ねー」

 学校が終わり、友人と別れた真冬は学童へ向かった。小学校の敷地内でも端の端の方にあるその場所へ、真冬はいつものように歩いていった。

 学童が見えてくると、なんとその前に駿がいた。服装は仕事に行くときのものだが、仕事用リュックは背負っておらず手ぶらだ。

「真冬」

「あれ、仕事は?」

「早く終わってさ。スタッフさんにも言ってあるから、帰ろ」

 真冬はUターンし、駿と一緒に校門を抜けた。今まで、早く仕事が終わってお迎えに来たことなどなかった父。大人の世界は分からないために、こういう事もあるのだろうと思う一方、父にいつもと違う空気も感じた。元々気の抜けた雰囲気だが、より一層、炭酸の抜けたサイダーのようだ。

「夕飯の買い出しに、スーパー寄っていい?」

「いいよ。何作るの?」

「……納豆チャーハンかな」

 首をグイッと、真冬は駿を見上げた。

「お母さんが最初に作ったご飯だ」

 駿は見上げる娘をちらりと目の端で見た。

「真冬さ、なんでまつりさんがお母さんだといいなって思ったの?」

 真冬は前を向き、唇を突き出し「超お節介だから、お父さんのお世話してくれそうだな~って」

「はぁ?」

「冗談だよ。私とお父さんってさ、お互い傷つけないように遠慮してるじゃん。そういうの、壊してくれそうだったから」

「お前に遠慮なんてしてないよ」

「……ふーん。それとね、住み始めて分かったんだけど、お母さんのハグってあったかいの」ランドセルの両肩ひもを握る。「生んでくれたお母さんと同じあったかさ」

 駿は耳を疑った。このみは、母のあたたかみが残るほど真冬に触れていなかったはず。最低限の世話を義務のようにこなしていたのだ。

「抱っことかおんぶ」をしていた記憶はほとんどないが「……の思い出か?」

 毎朝別れる公園の入り口で、真冬は立ちどまった。

「私を車から守ってくれた時。私をきつく抱きしめて、私が死なないように楯になってくれたの」父を見上げ、しっかりと目を合わせた。

「え、覚えてる……」

「ばっちりしっかり。忘れてると思ってたでしょ? 覚えてるよ。車がぶつかる直前、死なないでって声かけてくれたの」

 駿はしゃがんで真冬の両肩に手を置く。

「ほ、他には、他にこのみの思い出」

「ぜーんぜん。その事故だけ。ちっちゃい頃っていうと、お父さんとぬいぐるみショー見に行って泣いたり、お父さんと流れるプール行って浮き輪無くしたりとか、お父さんとの思い出はあるんだけどなあ」腕を組み「なんで、お母さんとの思い出ないんだろ?」

 普段は真冬を愛せず、なるべく接触しないようにしてたから。などとは言えない。しかし、真冬の記憶を聞く限り、やはりこのみは心の底ではわが子を愛し、その思いは成長しても娘の心身に残っていたのだった。駿はゆっくりと娘の肩から手を降ろす。

「まあ、いっか」真冬は歩き出し「お父さんもお母さんにハグしてもらってるでしょ? あったかくていいよね」

 まなみの呪いがかかったままのまつりとは、いまだ手以上には進んでいない。娘の方が彼女と仲が良いような具合で、少し妬けた。

「うーん、まあ。うん」

 そう言いながら、駿は娘の隣に並んだ。あたたかいのか。と、想像しながら。

◇◇◇◇◇

 まつりは感動した。

 19時半ごろに帰宅すると、駿が夕飯の準備をしてくれていた。ここ数日も出勤だったが、夕飯はまつりが作っていた。まつりよりは帰宅が早いとはいえ、駿も少し残業があったりでご飯は作っていなかったのだ。

「えー、どうしたの? 今日はご飯まで」

「仕事はやく終わったから。お風呂入る?」

「ううん、ご飯先!」

「作るから待ってて」

 キャラ弁作り以外、駿が本格的に料理する姿を見たことがなかったまつり。カウンター越しに、駿が卵を割る様子をじいっと見学する。

「恥ずかしいから見ないで」

「私のことは空気だと思ってください。何作るの?」

「……納豆チャーハン」

 ちゃっちゃと卵をかき混ぜ、ごま油を引いたフライパンで半熟にし、取り出す。次にニンジン、長ネギ、納豆、しらす干しを入れ、中華鍋のようにフライパンを振りながら炒める。呼吸のような手馴れさに、まつりは自身の料理が恥ずかしくなってきた。おそらく駿の料理は、まつりより抜群に味が良い。お腹を刺激する香りからも、容易に想像された。

 駿は具にだいたい火が通ったところでご飯を投入。ほぐしながら、具と絡めていく。卵を戻し、最後にしょうゆ、塩コショウで味を調え、まつりが最近買ったオフホワイトの平鉢に盛りつけた。

 納豆チャーハンとわかめスープ、ハムサラダを駿とまつりでテーブルに運び、部屋にいた真冬も合流して、みなで席に着いた。

「まつりさんのお口に合えばいいんだけど」

「絶対美味しい。いただきます!」

 まつりは早速、チャーハンを多めによそってぱくっと口に入れた。シンプルがゆえに、味が素直に口中に広がる。まろやかな米の甘みと、炒めた納豆の香ばしさ、しらすの良い出汁、最後の調整、しょうゆと塩コショウ。脳が喜ぶ。

「ご飯作るのやめよ」

「ええ、な、なんで」

「こんなに美味しいなんて……隠してたの?」

「つ、作る機会があんまりなかったし、まつりさんのご飯食べたいし」

「私はお母さんのご飯のほうが好きだよ。愛がある」

 スプーンを握り、まつりは娘を凝視する。

「駿君のご飯にもあるでしょ。めちゃうま」

「……基本、美味しいだけ」上目遣いでちらと駿を覗くように見て「まぁ、今日はあるよ、愛」

 駿は痛いほどに「愛」の指摘が刺さった。

 真冬はしっかりと、駿とまつりの料理の違いを把握していた。駿にとって料理は、このみと真冬を生かすスキルでしかなかった。料理は工作みたいなもので嫌いではないけれど、ただ作り、食べる以上の何かはなかった。

 食は人の心身を健康にもすれば不健康にもする。まつりのご飯を食べるようになってから、駿の食への姿勢は良いほうに変化しつつあった。それは彼女が、「駿と真冬に美味しく食べてほしい」と願って作っているから。その祈りを日々食べ、彼の心を作り変えていた。それが、今日の料理に現れたのだった。

「料理、誰に教わった? 独学? 教わりたいよこれ」

「上京してからこのみに教わった」

 と、駿はまつりに微笑みかけた。その笑顔に、まつりが憧れたまなざしはなかった。

「えー、そうだったんだ。じゃあ生んでくれたお母さん、料理上手だったんだね」

「このみも上京してから覚えたんだよ。お給料そんなにもらえなかったから節約のために自炊し始めて、せっかくならレストラン級のご飯にして、自分を喜ばせるんだって」

 自然に、「身内」の思い出を語る様子。まつりは意外な気持ちで駿をみつめる。

「真冬、料理は俺が教える。このみから教わったこと、全部教えるから」

 スープカップに口をつけたまま、真冬は父と目を合わせた。駿がすすんでこのみの話をしたことは、これまでなかったうえに、姉から教わった料理を教えるなどと言うのだ。小さくも大きな変化に、心の中で盛大に驚く。

「……よろしく。っていうか私が食べてた料理って、母の味だったの?」

「間接的にな」

「愛はなかったけど」

「ご、ごめん。これから気をつける」

「ほかに、お母さんから教わったことは?」

「えーと、が、楽譜の読み方?」

「それは知ってる」

「だよな。そうだ」駿は静かな声で「真冬に見せてないこのみの写真、あとで全部見せるな」

 まつりは囁くように尋ねた。

「私も見ていい?」

「うん、見てほしい」

 夕食後、駿は部屋から黄色いお菓子の缶を持ち出し、ダイニングテーブルに座る二人の前に置いた。かぽ、っと蓋をあけると、このみの姿が目に飛び込んできた。初めて見たこのみに、まつりはお化け屋敷で驚かされたように叫ぶ。

「美女!」

「そうそう、おキレイさんなのよ~」と、真冬は写真をがさっと10枚くらい手に取り、ふーん、へーとつぎつぎ鑑賞する。

 真冬の容姿から顔立ちの整った人だろうと予想していたまつりだが、予想以上の美に、完全な敗北を感じた。これが駿の片思い、料理上手の佳人。未練を抱き続けたのも納得の傾国傾城。主役級の美人女優。それに引き換え、中肉中背メガネ童顔の自分。メイクをしても美しくなれない。泡となり消えたかった。

 まつりは駿とこのみが立って写る一枚をつまんだ。それから推測するに「……このみさんも高身長」

「ヒール履くと俺と並んじゃうくらいだったな。でも俺と一緒で、体は大きくても心は小さい人だった。血は繋がってないけど、どこか似てたんだよね」

 次にまつりは電子ピアノを弾くこのみの写真を手にする。

「あれ、このピアノ」

「そう、真冬の部屋にあるピアノ。このみが上京してから買ったんだけど、ピアノ処分するのってなかなか大変――」と、言い訳を途中まで吐き「もあるけど、捨てられなかったんだ。真冬が使ってくれて、このみも喜んでるんじゃないかな」

 真冬との写真も缶には入っていた。しかしどの写真も、このみは横顔だったり後ろ向きだったりで、表情はよくわからない。そして、真冬と触れ合うシーンは見当たらない。おおよその事情を川越で聞いていたまつりは、察するものがあった。それでも、駿はこの2人の「今」を残したかったのだろうと思った。

 まつりの見ていた写真を、真冬が手に取る。

「生んでくれたお母さん、幸せだった?」

 駿は迷った。嘘でも「幸せ」と答えてもいいのかもしれない。しかし真冬に母親を知ってもらうために写真を見せたように、大きなウソでこのみをゆがめたくなかった。

「不幸じゃなかったと思いたい」

 その一言に込められた、何千何百の無数の意味を、真冬は敏感に捉えた。母は素直に幸せと呼べる人生ではなかったのだと。今、生きていたら幸せになれたのか、それとも。

 真冬は写真を缶に戻し、立ち上がった。部屋へ戻ろうと踏み出す。

 すると、まつりが何も言わず後ろから抱きしめた。背中から伝わる柔らかさが、心臓にも届く。顔が熱くなってきた真冬は腕の中をじわりと動き、まつりの胸に顔をうずめた。

 

 しばらくそうしていたが、真冬はぱっと顔をあげた。

「次、お父さん」

 切なげ気な様子から一変して、いつもの軽い様子に戻っていた。

「何が?」

「お母さんのハグ」

 まつりも駿も、娘のまさかの言葉に目が飛び出そうだった。

「お、お、おい真冬」

「すっごく元気出るの~」まつりを抱きしめ、父の方を見る。「お父さんも今、しんみりしてるでしょ? 元気になれるから」

 真冬はさっとまつりから離れ、さっと駿の腕をとって、椅子から立ち上がらせ、まつりの前に立たせた。

「い、今? あ、後で」

「だめ、今」

「い、いや、ねえ、まつりさ」

 ぎゅう、っとまつりは駿を抱きしめた。真冬の言うとおり、あたたかい。体がというよりも、伝わるものが一番、あたたかった。

 真冬がまつりに惹かれた理由が、自分がまつりと生きていきたい理由が、駿はこの温度で理解できた。駿もまつりの背に腕を回し、抱き合う格好になった、その時。

 カシャ。

 抱き合ったまま二人同時に音の方を向くと、真冬がスマホの背面をかざしていた。そして降ろし、操作し始めた。まつりは駿のゆるんだ腕からがばっと離れ、スマホをひったくる。画面には<小林倫太郎>とのメッセージのやりとりが表示されている。

まふゆ:千葉のドリームランド行ってみたいんだあ。

R.Koba:行ったことないのかい?

まふゆ:うん。桜ちゃんがいとことドリームシーの方に行ってね、お土産にチョコクランチくれたの。美味しかった。

R.Koba:ドリームのお菓子は美味しいよねえ。この間、受付の田中さんがドリームのおせんべいくれたんだ。

 ここまでは<小林倫太郎>本人とのやりとりだと分かる。しかし次のメッセージは明らかにまなみだった。

R.Koba:ふゆ子、パパとママのハグ写真送ったら、日曜、ランドでもシーでも好きな方連れてってやるよ。チョコクランチも買ってやるし、ネズ耳カチューシャもおそろで着けようぜ。

まふゆ:ほんと?!

R.Koba:マジだよ!あそぼ!

まふゆ:(かわちいの嬉しいスタンプ)

まふゆ:(ワレハチの頑張るぞスタンプ)

R.Koba:(ほんわかした柴犬イラストのファイト! スタンプ)

まふゆ:(ハグ写真)

R.Koba:行くぜドリーム!

 まつりの背後から駿もそのやりとりを読んだ。

「また子供使って!」

 まなみに電話をかけようと、まつりはソファに置いた通勤バッグに手を入れる。

「ねえ、まつりさん」

「あ!?」

 駿は耳元で「に、日曜日! 俺ら、映画、行けるね、池袋」

 舌打ちしつつも、今回は見逃すことに決めたまつりだった。

●おまけ
「あ、ちゅーの写真送ったら夏休みにフランス旅行だって」
「調子乗って!」
「お母さんのぶんも、倫太郎おじさんが出してくれるって。えー、ちょっこーびん、ファーストクラス、おうふく」
 まつりはメガネを外し「さくっとやろうか」
 彼女との初めてを旅行の引換券にされるのはいい気がしない駿。ぶすっと答える。
「まなみさんに乗せられてるよ」
「やば、あぶな」
「ん? 俺は?」
 真冬はぽちぽちとメッセージを送った。返信はすぐにあった。
「『埼玉で味噌ラーメン食ってろや道民』だって」


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