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蛇口
「過祭さんって"X"やらないんですか?」と聞かれることがありました。noteを始めて4年以上経過しますがXや他の大きなSNSは運用していません(Blueskyだけアカウントを作って放置しています)。趣味の交流や大会の情報を得るならXを運用した方が良いのですが、相変わらずSNSが苦手です。仕事が忙しくなるとnoteだけで手いっぱいになるし、仲良くしていただいているご近所noterさんを大事にしたいという気持ちが強いです。
大きなSNSではなくnoteというプラットフォームに落ち着いた理由を言語化しようと考えていたら、谷川俊太郎さんの『ベージュ』という詩集の「蛇口」という詩が目に留まりました。少しだけ抜粋してみます。
…私は小声で話したいだけなんだ…
元々noteを始めたのはアウトプットの練習をするためでした。自分の考えや気持ちを言葉や文章で表現する訓練。大勢の不特定多数に読まれる必要は無いし、ましてや大声で私の話を聞いて欲しい!という気持ちではありませんでした。小声でも「夕焼けがキレイだった」「自分で作ったカレーが美味しくできた」「趣味で格上の人に善戦した」と呟いてみたかったんです。
「蛇口」よりもう1センテンス紹介します。
…言葉の蛇口が出し放しになっている…
SNSに限らず言葉は1つ使い方を間違えると致命傷になります。相手を跪かせたい、誰かの悪口を言って貶めたい、度が過ぎた自己憐憫に浸りたい…そんな後ろ向きで、今この時ではなく過去に縛られた言葉を見たくないし聞きたくありません。もちろん普段そんなことを言わない人がポロっと口に出したら心配しますし話を聞きます。でも常にネガティブな発言を出し放しにしている人とは水が合いません。合わない水を無理して飲む必要は無いのです。
最後は個人の体質の違いみたいな話になってしまいましたが、noteだと前向きなご近所さんが多いので、続けられている理由の1つだと思います。
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