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車いすの私が嚥下食を作るわけ
超高齢社会に伴っていわゆる「嚥下食」といった食事の需要は高まっており、その市場規模は年々拡大しています。
嚥下食の製造・メーカーは多く存在するようになり、それに携わる人も数多くいます。
一般的に、車いすユーザーが料理をしようと思えばある程度の環境調整を必要とします。普通に歩ける人に比べ、やはり色々な面で困難さはどうしても出てきます。
その車いすユーザーの私が、なぜ嚥下食を作るのか。
そこには、ある思いがあるからです。
嚥下食とは
嚥下食とは、一言で言うなら「飲み込みやすい食事」のことを言います。
人は食べ物を飲み込む時、その食べ物を噛み砕いてミキサー状にし、口の中で一つの塊を作ります。
塊ができたら、舌を使ってのどの方へと送り込みゴックンと飲み込みます。
通常健康な状態であれば、食べ物を噛み砕いて飲み込むという動作は何の問題もなくスムーズに行われます。
しかし、歳を重ねたり何かしらの障害や病気によって噛み砕くことや飲み込むための力が低下することがあります。
嚥下食は、そういった体の状態に配慮した食事なのです。
嚥下食との出会い
私は、2003年に医療系の国家資格である「言語聴覚士」の養成校へ入学し、2006年から言語聴覚士として病院や介護施設で働いてきました。
初めて「嚥下食」を見たのは、実はずっとずっと昔のことだったと、この仕事をしてから思い起こすようになりました。
私は、子供の頃は様々な障害を抱えた子供が生活をする療育センターで暮らしていました。
ここでは、自分で食事を食べることが難しい子供たちもたくさんいました。
食べ物を噛み砕くことや飲み込むことが難しくなる「摂食嚥下障害」というものを目にしたのも、おそらくこの頃が最初だったと思います。
子供たちは、ドロドロした緑や白っぽい色をした食べ物を食べさせてもらっていました。
今は、こんなことはないでしょうが、当時は「お姉さん」的な存在だった私が子供たちの食事を食べさせるのを手伝っていたこともあるくらいでした。
時は経ち、嚥下食との出会いは再び。
言語聴覚士として働き始めた病院では、摂食嚥下障害の方とたくさんお出会いすることになりました。
噛み砕くことや飲み込む力が低下した方が、どういったものなら食べられるか。
それを見極め食事を考えていくことは、言語聴覚士の大きな仕事でした。
毎日毎日、嚥下食との出会いが待っていました。
そして、私は子供の頃に見た療育センターでの食事や子供たちの姿を思い出していたのです。
患者さんの言葉
病院で出会った患者さんは、毎日毎日嚥下食を食べていました。
私も毎日患者さんのところへ行って、食事介助をしていました。
患者さんがむせないように、喉に詰めないように、「安全」に食べられるよう神経をいつも集中させていました。
「こんなんはゴハンじゃない!」。
食べてもらいたい私の気持ちに反して、そう怒声を上げる患者さんたちの姿を目にすることになるのです。
ゴハンじゃないですよね、ゼリーなんて。
心の中で本当はそんなことを思いながら、とにかく目の前のものを食べてもらおうとしている自分が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
これが、言語聴覚士の仕事なんだろうか?
私は何をやっているのだろう。辛い日々でした。
療育センターの子供たちは、どんな気持ちで食べていたのだろう。
ふと、あの頃の状況が浮かんでくるのでした。
かさい食堂の寿司を嚥下食に
患者さんの多くは、「お寿司が食べたい」と言われていました。
かさい食堂の寿司を持ってきてあげたい!一口食べたら絶対に元気になる!
そう、何度思ったかわかりません。
世の中には有名なお寿司屋さんや高級ネタを使った魅力的なお寿司を出すところはたくさんあると思います。
だけど、私は嫁ぎ先であるかさい食堂のお寿司が一番美味しいと感じています。
嫁ぎ先だから贔屓しているわけでも何でもなく、理由はわかりませんがどこのお寿司屋さんにも引けを取らない美味しさなのです。
子供からご高齢の方にまで幅広く親しまれている味なのです。
このかさい食堂の寿司を嚥下食にする。
どんな人にも食べられるお寿司を作るんだ。
私にとって、それはいつしか大きなチャレンジであり、目標であり、希望になっていったのです。
そして、それは現実となりました。
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嚥下食作りへの試練
しかし、嚥下食作りは決して簡単なことではありませんでした。
そもそも、車いすの私が調理をするということ自体環境から整えていく必要がありました。
調理をするということは体力もいります。
正直、この仕事で私が食べていくことは難しい。それは明らかでした。
それでも私の中に宿った思いは、完全に消えることはありませんでした。
かさい食堂のお寿司を、どんな人にも食べてもらいたい。
そして、環境の改善に踏み切ったのです。
その環境についてはこちらの記事をご覧ください。
私だから届けられること
車いすユーザーの私が嚥下食を作ること。
そして、それを必要な人に届けるということ。
この活動は、きっと社会を変えていける。
人が人を想う、やさしい社会に変えていける。
いつしかそんなふうに思えるようになったのです。
私の人生は、「嚥下食」というカタチとなって表されたのです。
これこそが、私が与えられた使命であり役割であり、そして社会に発信し、社会に恩返しできることではないか。
私だからこそできることであり、私にしかできないこと。
言語聴覚士としていつも引け目を感じて自分に自信のなかった私。
そんな私が、少しづつ少しづつ、翼を広げられるようになったのです。