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なんかこういう感じの歌詞の曲があったような気がするんだけどなの話
ある曲のフレーズが頭に浮かんだものの一言一句思い出すには至らず、何の曲だったか探した。
思い出せたことは以下の通り。
RADWIMPSの曲で
たしかRADWIMPS3か4当たりのアルバムの曲で
テンポが速くて
「君と僕とそれぞれの感情の4人で手をつないで歩こう」的な歌詞
歌詞に思うところがあるような気がしたので探したらソクラティックラブ(アルトコロニーの定理)でした。
3か4とは。
寂しさの隣に君がいて 悲しさの隣に僕がいた
寂しさ悲しさ 手をつないで 僕ら二人を会わせたんだ
四人で並んで歩けばいい 手と手をつないで歩けばいい
一人よりも二人よりもほら 賑やかで楽しい方がいいから
参考:https://www.uta-net.com/song/77069/
私はもともとオタクなので推しカプにイメソンをあてがうことは日常茶飯事だった。
…のを思い出し、私と夫を「私」がよそから見ていたならばこの曲をイメソンと言い張っていたかもしれないとふと。
いや2次元ならまだしも自分と3次元の男のイメソンとか言い出すのはさすがにキツい。
ましてやその曲が中学の頃に死ぬほど聞いていた曲だというのだからなおさらキツい。
自分が解釈違い。
解釈違いで吐血しながら書くが、私たちの状況に似ているなと思った。
私たちは2人とも、幼少期からコミュニケーションの問題を抱えていたようだ。
その問題に対して、夫は「人間を分析し、外界接触に適応した『人格』を作り出した」のだという。
一方私は「いらないことを言う口に蓋をする」という方法で対処した。
(意識的なレベルの話で、根拠とかそういう物はどちらもまったくない)
「やっと本当の自分が出せる」とか「この人は何かデカめの欠落を持っているが知能でカバーしているようだ」とかいう感想は出会ったころからあった。
それに「ASD」という名前がついただけのこと(未診断なので正確にはついてはいない)。
ネット上のチェックリストをやる限りでは「今は」ASDではないのだろうが、小さいころは多少のASD傾向が私にもあったと考えて不自然はない。
(きょうだいにもグレーがいる)
「空気を読めない子供」だった記憶はわずかだがある。
もちろん「人格を作る」とは夫の独自の認識だし、平たく言えば「世渡りの技術を編み出すことに成功したが、ごく親しい人の前ではスイッチが切れる」というようなことだろう。
とはいえ、なんかわかる。
私も「私がしゃべるとみんなが変な顔をする。もうしゃべるのをやめよう」と心に決めた瞬間は覚えていて、それ以前と以後の自分は全くの別人のような気がするのだ。
自然体でいることが必ずしも善ではないと思う。
だって私たちは「自然」の自分を憎んでいる(夫は違ったらごめん)から。
でも作った自分のままでいるのも息苦しい。
それぞれのオリジナルの自分と作り出した自分、どちらが「本物」かを決めずに、それこそ気楽に、もしくは都合よく「四人」でいるのがいいのではないかとちょっと思ったのだ。
少し前、オタク時代の友人とカラオケに行って「うお~平成の香り~」と盛り上がっていたが、令和も7年目だし許せ。
永遠に学生時代の曲の好みを更新できないのも許せ。
そして「前前前世のころはもう離れちゃってたんだよね~」みたいな厄介古参オタクなのも…許せ…ユルシテ…