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非日常と日常と

約4年半のバンコクでの生活が終わった。
それは長い長い夏休みのような時間でもあり、でも本当の夏休みとはちょっと違った。

旅行で外国に行くと、最初は、紙幣でばかり支払いをしてしまい、お財布に小銭がたまっていく。旅の後半になると、うまく小銭も使っていける。

普段、私たち夫婦の旅行は、2週間とか3週間とか、比較的長めに期間を設けることが多い。暮らすように過ごす時間も持てる。

帰りたくない。
ここで暮らしてみたい。

なんて言いながらも、そこが非日常であったことに、どこかほっとしたりもして、日常に戻っていく。

バンコクでの日々は、いつの間にかすっかり日常になっていった。 
デリバリーやクリーニングの支払いのときに、お釣りがないと言われても困らないように、(どうして、タイの人々はお釣りを用意しておかないのだろうか。この疑問の答えは知らぬまま)私のお財布にはいつも20バーツや100バーツの小額紙幣が揃っていた。

スーパーの陳列や薬局の品揃えも頭に入り、ショッピングモールのポイントやプロモーションをうまく活用した。「あと、10分」と言われて、あと1時間待つことにもすっかり慣れて、やきもきしなくなった。

バンコクはイメージしていたのよりも、ずっと近代的で洗練された大都会だった。
そして、都会に住む人間は、
オーガニック野菜などを好み、
ワインを飲み、
フィットネスに通う。

大都会の暮らしってどこの国もだいたいおんなじなのではないか、と思った。

夫が忙しく働く一方で、私は凪のような毎日をおくっていた。規則正しく、ほとんどの時間をひとりで過ごす。その静かな日々に風がふいた。

本帰国が決まったとき、検査も引っ越しも立ち合いも隔離生活も、予定から今に変わり、あっという間に過去になるんだろうな、と思いながら手帳を眺めていた。

本当に、少し先のことだと思っていた予定が、すごいスピードで明日の予定になり、今日の出来事になり、昨日のことに移り変わっていった。
やっぱり時間っていつも同じ速さで過ぎるとは限らないと思う。

バンコクを発つ日の夕方、夫はアパートの窓からいつまでも外を眺めていた。「普段、この眺めを思い出すことなんてなかったんだけれども、もう見ることはないかと思うと」と言っていた。

旅行や出張で、夫がまたバンコクに来ることはあると思う。でも、この部屋の窓から、外を眺めることはもうなさそうだ。

日本に帰るのは1年ぶりくらい。
隔離生活が始まった。スーツケースの中から、あれこれ出したり、しまったりしながら、部屋の使い勝手に慣れずにいる。旅行者のように。

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