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「大神神社」後編~お能・謡曲のお話Vol.2
前回大神神社を訪ねた時のお話をしました。
今回はその続き、大神神社にまつわるお能、謡曲のお話「三輪」について。
よかったらおつきあいください。
さて、前回ご紹介した大神神社の拝殿の横の「巳の神杉」
そこは三輪の大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名付けられたご神木と
お話しまして、この三輪と呼ばれるようになった所以のお話もしました。
これは「蛇婿入り」ともいわれて実は各地に似たようなパターンのお話は伝わっていたりします。
また神婚伝説ともいわれ、神様との結婚のお話のことですが、
代表的なものがこの三輪山伝説、他には羽衣伝説・浦島説話などもです。
ちなみに大神神社といいます、この字もですが
これは明治以降にこのように書くことを決めたそうで
それまでは「三輪」と呼ばれていたようです
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ですから室町あたり、中世につくられたお能、謡曲の物語ですから
タイトルもそのまま「三輪」です。
なお、原文は音声配信の中でのみ読んでいます。
よかったらこちらからお聞きください。
お能・謡曲「三輪」の物語
舞台は大和国三輪の里(今の奈良県桜井市付近)に玄賓(げんぴん)という僧がすんでいました。とはじまりますが
前回先旅日記に書いた「白壁の塀が続く場所、真言宗醍醐派のお寺」です。狭井神社から檜原神社に向かうの途中の山の道にあります。
この玄賓僧都の庵に、樒(しきみ)を持ち、閼伽の水(あかのみず~仏様のお供えするお水)を汲んで、毎日訪ねる女の人がいました。
玄賓は、今度この女性がきたら、どこに住んでいる誰なのかを尋ねようと思っていました。そこへ今日もその女性がやってきました。
「秋果てぬれば訪ふ人もなし」~折しも秋の寂しい日のことでした。
わたしは秋に尋ねているので、この辺りは季節が一定なので、一層創造がリアルに膨らむのでした。
女の人は玄賓に対して「夜も寒くなってきたので、衣を一枚ください」と頼みます。玄賓はたやすいことですと、衣を与えました。女の人が喜び、帰ろうとするので、玄賓はどこに住んでいるのかと尋ねました。女性は、三輪の麓に住んでいます、杉立てる門を目印においでください」と言い残し姿を消しました。
少し意味深なセリフと共に去って行った女性です。そしてこの「衣を戴く」というのは、お弟子になったとか、戒律を授けてもらったという意味もあるそうです。
さてその翌日のこと、三輪明神にお参りした里の男が玄賓庵にやってきます。男は「ご神木の杉に玄賓の衣が掛かっていましたよ」とお知らせにきたのでした。玄賓さんは確かめるために杉の立つところに行きました。
この杉は現在、衣掛杉(ころもがけのすぎ)とよばれて根っこだけのこって上に屋根がつくられていますが前回お話した巳の神杉ではなくそこよりちょっと手前にあります。
写真がなかったので、大神神社の公式さんでご覧ください。
https://oomiwa.or.jp/keidaimap/10-koromogakenosugi/
こちらも御神木だそうですが、玄賓さんの頃は上までしっかり生えていたのでしょうね。そこに、自分の衣が掛かっていて、さらには、歌が縫い付けてあったそうです。
女神さま現る
縫い付けてあった歌は
「三ノ輪は、清く浄きぞ唐衣、くると思ふな、取ると思はじ」
玄賓さんがこれをみつけたその時、杉の木陰から美しい女性の声がします。「千はやぶる、神も願ひのある故に、人の値遇に、逢ふぞ嬉しき」
この声の主が三輪の神です。
神は玄賓に「神にも救いを求める願いはあるから、こうして上人に出会い、仏の縁を結べて嬉しい」と仰います。
お声だけなので、玄賓さんは「願わくば、お姿をお見せください」とお願いします。三輪の神は 恥ずかしいけれど、といいながら「姿を上人にお見せしましょう」と、女神さまの姿ででてこられます。
女神さま三輪の縁起と天岩戸を語る
そして女神さまは、三輪神社の三輪の由来を語り始めます。
三輪の里に残る、神と人との夫婦の昔語です。
ただ前回お話したのとは少し違って、こちらではこうなります。
大和の国に長年暮らした夫婦がいた。いつまでも変わらない愛をと、頼りにしていたのだが、しかしこの方(男)は、夜には通ってくるけれど、昼には来ない。
そこで女は、ある夜の睦言に「あなたはこんなに長い年月を送っているのに、なぜか昼を嫌がり、夜しか通って来られないのは、まったく不審なことです。ただ夜も昼も同じようにずっと一緒にいたいのです」と語った。
すると男は答えて「私の姿は恥ずかしいもので、それが知られてしまうので、これから後は通うのをやめよう、愛を交わすのも今宵限りだ」としみじみと語りました。問い詰めた女でしたが、さすがに別れは悲しく、女は男が帰っていく先を知ろうと思い、苧環=おだまき(糸を巻いたもの)に針をつけ、男の着物の裾に縫い付けた。
と、このあとは、糸が伸びていった先を訪ねて追いかけたら、三輪の杉の下に留まりたり、と、前回と同じですし
「其糸の三綰(みわげ)残りしより、三輪のしるしの過ぎし世を、語るにつけて恥づかしや」と、三輪のこっていたから三輪、ここも語られます。
そしてさらに女神は、上人のはなぐさめになればと、天の岩戸の神話を語りつつ神楽を舞い「思えば伊勢と三輪の神、一体ー分身の御事」と、同じですということも話されて、やがて夜明けを迎えると、僧は今まで見た夢のような世界から覚め、神は消えていきました。
前回の音声も含めた記事はこちらから。
大神神社の祭神は男神だけれど…女神
気づかれた方も多いと思いますが、大神神社の御祭神は、大物主大神、男の神様です。けれどこの謡曲の物語では、神様は大物主神ではなく、女神。
これには、両性具有である存在である神だったり、神仏習合であったり、伊勢神宮に落ち着くまでにあちこち試に滞在した女神だから、それがここにも名残があるとか、いろいろなものが合わさった時代があったりとか、諸説あるようです。
ただ、こちらに関しては、あくまでも謡曲の物語なのでは勇壮な男神や龍神の舞もありますがこのお話は女神の方が美しいと感じて作られたのかもしれないなと勝手に想像します。お能の舞台では、天岩戸に隠れた時のお話を舞う女性の姿は、きっと見どころだと思います。
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最後に謡曲の中で、天岩戸について語る場面から最後の部分を、
原文で記しておきます、
先は岩戸のその始め、隠れし神を出ださんとて、八百万の神遊び、是ぞ神楽の初めなる。
ちはやぶる。
天岩戸を引き立てて 神は跡なく人給へば、常闇の世と、はや成りぬ。
八百万の神達、岩戸の前にて是を歎き、神楽を奏して舞給えば。
天照太神、其時に岩戸を、少し開き給えば。
常闇の雲晴れて、日月光輝けば、人の面白々と見ゆる。
面白やと、神の御声の 妙なる初めの、物語。
思へば伊勢と三輪の神、思へば伊勢と三輪の神、一体ー分身の御事、今更何と磐座や、其の関の戸の夜も明け、かく有難き夢の告げ、覚むるや名残なるらん、覚むるや名残なるらん。
最後までご覧いただきありがとうございました。