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表面張力

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自分が言うことが絶対正しい――と思ってはいけない。

そんなあたりまえのことについては、
繰り返し繰り返し言い聞かせてきているのだけど、
ときどきそれでも、「なんでかな?」と相手の言うことを受け入れられないこともある。

自分勝手な悲しみに押しつぶされないようにしよう――とも思っている。

もしもこちらの話を聞きいれてもらえないのであれば、
それはわたしがしてきたことの結果なのではないかと――つまり、わたしが
ちゃんと聞いてこなかったことの反射ではないのかとも思う。

自分は鈍感だし気も利くほうではない。
それだから、いろいろなことは割り引いて、一歩引いてから踏み出すようには心がけてはいる。

でも、やっぱり――さすがに、「通じない」ということのしんどさを、非常に重たく感じるようになる分岐点は、わたしにだってある。

相手のほうがつらい、病気なのだから、とたくさんの受け入れるべき理由を
数え上げてみる。
でも、、でも、、、でも、、、、、。
分岐点にくると、「でも」が止まらないのである。

だれかに言いたいわけではない。
ただ、思ってしまう。
「でも……」の先まで、ぐるぐることばが連なってしまう。

ただ、そんなのひとつも生産的ではないが、しかし、
ちょっとだけあふれさせたい。
「でも……」の先を思ってしまいたい。

ちょっとだけ。

コップの中身をぶちまけるという意味ではなくてね、そう……なんていうのかな、
表面張力の限界を迎える瞬間をつくること。

ふくらんだ水面が、プッ、とその緊張を解き放ってちょっぴりこぼれる。
それで少し緩む。
ほっとする。

そういう瞬間を迎えることも、たまにはゆるされたい。

……でも。
そんな「ちょっとだけ」は、なかなか難しいだろうなぁ。
気をつけよう。
表面張力というのは、ある意味いいバランスにあるわけで、
それはそれで保ちたい気持ちもあるしね。

――――と、なんとも意味のない内容で終わる今回のノートなのであった。

(2016年12月11日・Facebookノート投稿)
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人それぞれキャパシティが違う。
持っているコップのサイズが違う。

自分の容量を過信しているところもあるかもしれない。
さほどの容量があるわけでもないのに、ついつい人の容量に対して厳しく見てしまう。
ほんとうは自分だってぎりぎりのときに気づいてほしいときがあるけど、あまりそうは思われないわけだから、他人も同じととらえておくべきなのだろう。

そんな思いで書いていたんだなと振り返る。
今は状況が少し違う。
表面張力のもつ、よりよい緊張を生む場所にしたいというかすかな願望もありながら、諦観とでもいう思いが心の底に沈んでいる。

個人的には「表面張力」は「ベストを尽くす」ということに通じると思ってきたけれど、そうではないのかも――と。

そんなふうに思っていたら、このテーマについての振り返りと書き表しはまだまだ不完全なので、現時点ではここまでにしよう。


それはそれとして、表面張力のあの満ち満ちた瞬間が続くさまは、とても楽しい。
先日お店でいただいた日本酒を見て、おもしろさをあらためて実感した。
よりよい緊張。

そういうふうに楽しめるようにしよう。


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