気まずさ
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なにごとも全部を知る必要はないし、
そもそも知る必要がないから、
知らされていない、ということもある。
けれども、どこかでコソッと感じる
この居心地の悪さはいったいなんだろうか……。
知らせなくてよかったはずのことを、
期せずして知らせなければならなくなったという、
相手側の気まずさを感知してしまったからか?
それとも、知らなくてよかったはずのことを
垣間見てしまったというこちら側の気まずさだろうか。
なぜだか、最近そういうことが多い気がしてならない。
嘘をついたわけではない。
ちょっと秘密にしていただけのこと、なんだろう。
なんとなく理解はできる。
でも、なぜだか落ち着かない。
いや、違うか。
「ここだけの話、ちょこっと秘密ね」というのが、
気妙な距離感のコソコソ感であって、
しかもそれを自分もなんとなく理解できてしまうからこそ、
気まずさを覚えるのかも。
それにしても――どうにも慣れなくて、
やり過ごすのにちょっと時間がかかるのであった。
ふぅ。
(2019年8月26日・Facebookノート投稿)
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本来見なくてもいいもの、あるいは知らずに済んだようなことをなぜだか目撃してしまう、聞いてしまう、という経験――多かれ少なかれ、みな経験していることだろう。
ひとよりそれが多いとは思わない。
ただ、そういうことを”うっかり”見てしまったり知ってしまったりしたときの、心に覚える引っかかりがわりと尾を引くほうである。
聞きたくないのに聞こえてくる――といったたぐいのオープンな噂話ならいたしかたなしだが、当事者に聞かれていると気づかず、噂しちゃっていたのを耳にしてしまう、というようなこと。
これは気まずい。
聞いてしまった当事者としては、たしかに気まずい。
また、噂話していた当人たちも、聞かれていたことに気づいたら、気まずい。開き直れるひともいるかもしれないけれど、基本は気まずいだろうね。
それから、ちょっとした秘密の共有、自分たちの中でのひそかな楽しみ、仲良しの証しみたいなものを取り交わしている瞬間を目撃するのも、ちょっと気まずい。
「他人にはどうせわからない・バレない」とでもいうような思い込みをもって、隠語的なものを用いて、公の場で秘密の関係を楽しむ、というようなことをしているのに気づいてしまうと――気まずい。
あ、ちなみに、この日のできごとは、不倫などといった色気づいた話ではなく、小中学生くらいに見られるような仲間(友達)同士の連帯の絆の確認みたいなものだった。
共有しているその秘密が何であるかわかってしまうこともあるけれど、わからなくても、そういうことをしている、という様子を目撃してしまったときもなぜだか奇妙に気まずい。
彼らの世界での秘密の宝物、あるいは他人には見せてあげない絆としている約束事を意図せずのぞき見してしまった、という気まずさがある。
……とはいえ。
ひょっとしたら、と思う。
自分もそんな気まずさを与えてしまうような行動をしてしまったりしているのかも?
悪意はなかったとしても、知らず知らずのうちにしている噂話などでね。
よいことばを生み出す心根でありたいものだ。
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