しばらく心おだやかに過ごせる日が少なかったために、ふと気づけば師走目前で、あとはもう一気に突入してしまっていた。そして、もはや半ばといえるような時期にさしかかっている。
8月に年末の予定を考えていたときには、まだまだ先だなぁなどと思っていたのに、あれから数か月が過ぎていたのかと驚く。
秋は秋で――気候的に秋らしくない日が続いたとしても――それなりに楽しい計画もあり、気持ちよく過ごしてきた時間はあった。ただあらためて過ぎていったひと月ひと月を振り返ってみると、それでも気持ちのざわつく日々のほうが多かった。
そういうわけで、いつの間にやら年末のせわしなさに追い立てられる時期を迎えているということに、愕然としている。
心が落ち着かなかった理由を考えてみる。
自分の異動はなかったが、ちょっとしたひとの動きがあり、若干の環境変化があった。ひとが少し入れ替わったことで、なんとなくゆらぎが生じたのか、空気感やひと同士の距離感がちょっと変わった。
そしてそのことが、自分の中のなにかに影響を与えたようである。
バタフライエフェクト的な、ドミノ倒し的な影響?
その場にいない誰かの話をされるとき、第三者として聞く自分の気持ちがうまく追いつかない。
聞く内容の中には共感できることもおおいにある。
でも、ちょっとした決めつけ、率直に表われてくる批判的感情に、少しばかり居心地の悪さを覚えることが多くなってきている。
文字で読むだけなら、その事実を無機質にとらえることができて、たぶんもっと共感できるだろう。ただ、声色、顔つきといった態度が伴われたことばは、やたらに生々しく迫ってくるのである。
それを聞いているあいだに、心の中にじんわりと黒いシミができていくようだった。
――それはきっと自分の側の問題なのだろう。
自分のキャパシティが小さくなった、あ、いや、もともと小さかったか。
醜いものを受け止める・受け流す技量も乏しくなってきた。
そういうわけで、淵のほうからもじわじわと広がってくる汚いシミ…………。
いやいや、自分だって、そういうシミになるようなことばと態度を、吐き出してしまっていることがあるくせに。
外からだけでなく、自身の内からも腐食が進んでいるために器が脆くなり、キャパシティが狭まってきているのかもしれないな。