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通勤途上にあるBOOK OFFに寄ってみた。
ほぼ毎日通るのに、入ったことのない店舗。
でも、探していた本は見つからず。
ぶらりと一回りをするも、とくに触手動かず刺激もなく。
で、ふと感じたこと。
BOOK OFFとかAmazonとかは「見つけたいものがはっきりしているとき」
に使う本屋なんだ。
あ・あと学内の三省堂さんもね。
他人はどうだかわからないけれども、わたしにとっていわゆる書店と
図書館は「活字に飢えているとき」、「漠然となにかを見つけたいとき」
に行く場所なんだなぁ。
もちろん、ある人にとってはBOOK OFFなんかもそういう場所なんだろう。
何がほしいのかわからないけど、その何だかわからないなにか、を
見つけたいときに行く場所……。
それは――蕎麦が食べたいからと蕎麦屋に向かったり、漠然となにか
おいしいものと思ってレストラン街をぶらぶらしたり、というのと
似ているのかも。
しかし、最近行っていないなぁ、いわゆる書店。
わくわくする時間を過ごしたいな。
(2013年8月15日・Facebookノート投稿)
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地元の駅前から本屋(書店というべきだろうか?)が消えて久しい。
駅ビルの中からさえなくなったのだから、もう復活することはないだろう。
ふらりと立ち寄れる、時間つぶしのできる、いわゆる「まちの本屋さん」がなくなってしまった。
地方でもそういう話はよく聞くけれど、そういう意味ではうちも地方都市ってことなのかな。
自分がよく出かける先の最寄り駅にはたいていあるのに。もう一つの最寄り駅の前には、ちいさな本屋があるけれど、各駅しか停まらないのであまり利用することがない。利用するときでも、本屋で時間をつぶす必要も生じないか、すでに閉店している時間だったりする
実家の最寄駅――2路線4駅ある――のうち3つには本屋がある。それなりの広さがあって、それゆえにそれなりに楽しかった。
本屋はたいてい「圧倒される」場所だ。
こんなにも活字のつまった、情報のつまった紙がいっぱい。平積みの文庫やコミック、毎週毎月入れ替わるであろう雑誌、付録のついたムック……。
飽食の時代とは、本にもいえるのだろうか?
楽しいのは、ひそかにその本屋さんならではのこだわりなのか、独特なチョイスが見受けられること。
店によって動線や棚の位置、並べ方が違っていたりする。
スーパーマーケットと同じようなことなのか、客層に合わせてということなんだろう。
スーパーマーケットは店が違うと、勝手が変わって目的の商品に到達できなくてちょっとイライラしてしまうこともある。時間的ゆとりがあると物珍しく、「なるほど~」などとついつい余計なものを買ってしまったりすることもある。
本屋はあんまりそういうことはない――と思っていたけれども、でも、実は似たようなものかもしれない。
単行本の棚などはとくに、「こんなところにこんなカテゴリーが?」、「こんな本だれが買うんだ?」などとラインナップについつい心が躍ってしまい、うっかりするとそんなヘンテコな本を購入してしまったりする。
これもひとつの出会いだ。
あとで「なぜこれを買ってしまったのか」と思う本もある。のちのち「だれが買ったんだ?」と自分で買ったことさえ思い出せないかもしれない。
でも、そのときはそれに心をつかまれてしまったのだから、仕方ない。
いつかだれかに打ち捨てられるかもしれないし、もしくは知らないだれかが読んでくれるかもしれない。
それは、それでいいんだ。
ただ、そういった、いわば”出会い”を提供してくれるような中規模な本屋さんが身近にないのが、少し寂しいんだ。
このときも、今も。
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