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紙と文字の森の中
探し物があって図書館に行く、というのは久しぶりだった。
図書館そのものに足を踏み入れることはあっても、本を探す目的なくぶらぶら歩くことや、その建物や構造などを見るということがほとんどだったから。
検索して、1階と地階にそれぞれお目当ての本があるとわかり、まず1階の書架を進む。分類番号を確認しながら、書架の列を越えていく。
目当ての書架を左に曲がって見上げたところで、すぐに見つかった。
ぱらぱらとめくって参照し、なるほどと納得して閉じる。
閲覧席に目をやると、まばらに座っている学生たちのほとんどは、パソコンを前に本を開いていた。
地階へ下りる。
ここはいつも少し湿っぽい。
古くなった紙のにおいは、どことなくなつかしさを覚える。自然光の入らない地階ならではの映り具合か、背表紙たちはどれもちょっと沈んだ色に見えてしまい、そこから抜き取られることがほとんどないのではと疑う。せめて丁寧に背表紙を見るだけ見てあげよう、などという意味不明な想いを抱き、書架をランダムに回って、ただながめてみて歩く。
そして、圧倒される。
これだけの紙の束。
活字の詰まった紙の束。
足元の段から、頭上の段まで――ことばに満ち満ちた、たくさんのページを抱えている本たち。
タイトル。
著者。
デザイン。
丈はまちまちでも隣り合わせの本と、ぴったり整列している。
どれも時間をかけて、人の手を経て、ここにたどり着いたのだ。
自分が日々手に取っている本は、ほんとうにごくごく一部なのだと実感する。書店に行っても同じような思いを抱くことがあるけれども、不思議とそれとはちょっと違っていた。
地階という閉塞感もあったのかもしれないけれど、まるで水中に落ちたような――思わず溺れてしまいそうな感覚。
古くに発行されたものから比較的最近のものまでが密集しておさめられている。その質量の迫力は、書店とは違う。
圧倒され、そして圧迫された。
一冊一冊の抱える時間と内容は、それをさらけ出して数えていったなら、たしかに溺れるほどの海を成すものだろうから。
好奇心や研究・探求の成果、結集した知識の山。
時代の流れの中で紡がれた心象風景の数々。
無限に広がる空想の世界。
時代を映しつづける情報の波。
自分が手に取り貪る一冊は、膨大に発行されてきた本の歴史のうち、ほんの上澄みに過ぎない。
一度も見たことのない、開いたことのない本が幾千幾万とある。
手の届く範囲でしか生活していないことの現れだと、”ひどく矮小である”ことを意識させられた。硬直するかと思うほどに。
自分の小ささを乗り越えたいとか、自分のインスピレーションを呼び覚ますなにかを見つけたいとかいう思いもよぎった。
そうして、
図書館のある家に住みたい。
あるいは、自分の図書館を持ちたい。
という夢、いや欲望を持っていたことを思い出した。
今はそのことを強く求めてはいない――はずだけれども、整然と並び、たしかな存在感をもって迫ってくる書物が集まる空間への憧れは残っているようではあった。
なにかを手にしたいような、ちいさな欲望みたいなものが疼いた気がする。
なにをもってそう感じたのか。
果たして、次に行ったときに同じように感じ続けるのだろうか。
もしかしたら、きょうだけのことだったのかもしれない。
今度、もう少し時間をゆっくりとって行ってみよう。
なにごとか、なにごともないかもしれないなにかをたしかめに、地階にある紙と文字の森へ――。