私の主訴
私の主訴について
はじめに
「主訴」とは受診するきっかけの症状を言います。
腹痛(:主訴)→受診する→~ですね(:診断)→薬/手術など(:治療)
上記のような流れが大半だと思いますが、診断が難しかったり不明瞭な場合や治療が困難なときは他の病院に紹介状を持っていって再確認や治療をしてもらうケースもあると思います。
では、私がよく使う主訴とはどういった状況なのか、今までの経緯をざっくり紹介します。
発症
いまでもおおよそ覚えていますが、主訴が発症したのは高校3年生の夏休み明け初日でした。
自称進学校で長期休暇前や最中にAOや公募の試験を受けたり合否が出たり、部活の引退等と色々あった出来事や受験の進捗等で登校した教室ではガヤガヤ賑わっていました。
私はクラスメイトの1人と教室から離れた場所で朝のHRまで談笑していた際に、突如「自分の左手で自分の首の右側の根本をノコギリでおもいっきり引く」感覚が出てきました(発症)。発症直前から暫くは記憶が曖昧なのですが、話題はHRが始まりそうな時間で今後の朝の特別講義に関してだった気がします。
突如でた不思議な感覚に戸惑い、!?!?!?とワタワタしつつ混乱してたので朝のHRに出れないと判断したのと側にいたクラスメイトの勧めで付き添ってもらい保健室へ…。
参考動画: https://youtu.be/jkYyqBrcOyw
初めての精神科へ
「発症」で説明したような症状で学校への登校が困難になったり実際に試してみようとしたため、家族が私を無理やり地元の精神科病院(A)へ連れていき人生初の精神科への受診をしました。
医師の問診の結果、「思春期特有の一過性の統合失調症の様な症状」と薬物療法での経過観察が治療方針でした。
私の本命だった大学受験は頓服薬を多目に処方してもらい受けました。
自己中断
「初めての精神科」の最後に挙げた画像に記載してあるように、暫くは薬以外にも心理検査を受けたり、私の大学の専攻が臨床心理学であったために自分なりに調べたりとしてましたが、薬物療法では効果が特に実感できずにいたため地元の別の病院(B)に勝手に転院しましたが大して変わらず、通院の手間(遠距離通学)もあったため自分で一方的に通院を止めました。
それまで大学や教員に事情を説明して出席日数の配慮を求めたりして対応してもらっていました。
余談:センター試験の頃には主訴にも慣れてある程度抑えることができたので大学入学前に普通運転免許を取得しました。
自己中断する前後に大学の相談室を利用し始めました。
転機
なんやかんやで大学3年生になった頃に相談室で進路が少し話題になったため相談室経由で大学近くのクリニックを受診しましたが、相談室で一筆書いてもらった説明と私自身の説明ややり取りから「愚痴が溜まる、など気が向いたら」という不定期通院になりました。
なので、ほとんどクリニックには行かなかったです。
しかし、このクリニックの存在が後に大きな意味になってきます。
怒濤の転院
大学3年後期のある演習講義がきっかけで主訴を抑えることが難しくなり、春休み直前で長期休校中に遠距離通院も難しいということで地元の病院(B)に転院することになったのですが、クリニックの紹介状に「発達障害の疑い」とありました。
講義、特に演習で「え!?」っと逆視点で学ぶ機会があったので薄々発達障害(小学生頃から違和感はあり)かもと自覚はありましたが、他者から指摘されたのは初めてでした。相談室では「変わり者だけど話してて面白い」のような評価だったと思います(未確認)。
閑話休題
幸いなことに、地元のB病院でも検査可能だったので色々心理検査等受けましたが、「発達障害(自閉スペクトラム)の疑いあり」という見立診断ででしたし、発達障害に私の主訴のような典型症状は無かったので、色々な薬を試すだけでした。
※見立診断:7割程度の確度の診断 らしいです。
進展が無かったのでB病院から大病院に転院を提案され医大附属病院へ転院。
医大附属病院での初診で症例を見聞きしたことがなく、検査等の事情から入院(検査→治療まで)を提案されたので承諾し病床の空き待ちだったのですが、待ちの期間にまた抑えが効かなくなり(切っ掛け不明)、転院したので地元のB病院は受けてくれず医大附属病院に連絡して急かしてそれまでは嵐が去るのを堪えるような感じでした。
余談:悪化のときの講師の方は手厚いサポートをしてくれました。
確定診断
検査入院ではB病院で受けた心理検査の再検査や+@を受けました。
大学で見聞きした検査を実際に受けてるのは貴重な経験でしたし、知らない検査も受けました。
その結果、「自閉スペクトラム/アスペルガー症候群」の確定診断が出ましたが、主訴はやはり類似症例が見つからなかったようで関係は不明のままでした。主訴の詳しい検査など行うのかと思っていたら、「自閉スペクトラムの治療薬等はないから抗がん剤のように薬の掛け合わせに期待するしか…。地元のB病院でも出来るね」と退院を勧められました。
その後は地元のB病院で薬物療法を今でもやっていますが効果は自覚できず、入退院も繰り返しています。
まとめ
今回の記事では診断名がつかない(ICDコードなし)のため、あっちこっちさ迷った経験談です。私が「主訴」と表現するのも診断名がつかないための仮名称なのです。けっしてカッコつけてる等が理由ではなく、「主訴」としか名称がないのです。まったく知らない方への説明の際は「精神系の」とつけますが…。
また、主訴の初診から発達障害までの確定診断まで約5年かかりました。
最後に
この記事を読んでくださった方は、私が「主訴」という単語を使う理由を理解してくださったでしょうか。
また、主訴に関して今まで自己解釈で??と疑問に感じる声掛けなどもあり、「私の症状や話を聞いてないな」と解釈せざるを得ない医療従事者にもたくさん会ってきました。
診断や症状は理解の足掛かりであって、当事者各々で様々です。
特に精神疾患は目に見えない/分かりにくいので当人の話をしっかり聞いてください。
私は「物語を読む」と表現していますが、色眼鏡や偏見のようなフィルター越しに読まないでください。誤解やズレが大きく生じてしまいます。
今月末に転院しますが良い切っ掛けになることを祈っています。
一人の精神疾患の経緯の物語を最後まで読んでくださり有難うございます。