ソクラテス・プラトンの教育思想

ソクラテスは、古代のギリシャ時代の哲学者であり、ソフィストと呼ばれる人であった。ソクラテスは「無知(無智)の知」「悪法もまた法なり」などの言葉を残していることでも有名だが、教育思想ではソクラテス的弁証法という考えが大きな影響を与えている。
 弁証法は今日における哲学思考の一種であるが、その弁証法を行うために教育が必要であり、ソクラテスの言う教育とは助産術という独特の問答法を行うための第一歩になる。ソクラテスは「無知の知」のエピソードなどからも認知されているように、人間の限界を探求し続け、特にアレテー(徳)を重要視していた。ソクラテスは教育とは自分の考えを他人に強要するような教育や教師が新しい知識を生み出すのではなく、教育を受けている者が自分自身で考える力を持つ手助けをするものだと語っていた。そして、多くの人が漠然と望みながらも曖昧な「良い(善い)子に育ってほしい」の「良い(善い)」に生涯を費やし弟子たちが継承していったのである。
 またソクラテスは、著作物を残していないことでも有名であり、彼の思想や行動はソクラテスの弟子たちによって記録に残されている。ソクラテスは話し言葉は「生きた言葉」であり書き言葉は「死んだ言葉」と表現していたことでも有名である。 次にソクラテスの弟子で一番有名といっても過言ではないプラトンは、もともとは貴族の出であったがソクラテスの死刑までの8年間に教えを受けた人物である。プラトンは出自が貴族であり本来ならば政治家のような職業についたであろうが、ソクラテスと出会い思想家の道を進んでいった。プラトンはソクラテスの教えを継承しながらも、ソクラテス
の教えが原因で死刑になったことからソクラテスの純粋な道徳的教育思想から政治的教育思想のような考え方を導入した。プラトンはイデア論という概念を導入した。このイデア論の導入によりソクラテスの教育思想から離れていった。
 プラトンは記録上初めての教育機関であるアカデメイア(アカデミーの語源といわれる)を開設したが、プラトンのイデア論に基づく「善さ」を探求するための訓練所のようなものであり、ある意味選別のようなものになってしまい、ソクラテスの教育思想とは様相を異なってしまった。
 ソクラテスとプラトンの教育思想の大きな違いは、ソクラテスは人々は「善さ」に対してエロス的であり、人々が「善さ」に対して無知であることを自覚し探求し続ければ国家はよくなるという考えだが、プラトンはソクラテスの「善さ」は人智の及ばないものであるという考え方ではなく、素質・能力などによって「善さ」にどれだけ近づけるかによって国家の役割として配置するという考え方になっている。
 一世代跨いだだけでこのような教育思想の変化がみられたのである。

参考文献
教育思想 発生とその展開(上)村井実 東洋館出版社
早わかり教育人名小辞典 安彦忠彦 明治図書
新版教育小辞典第3版 平原春好・寺崎昌男編集代表