私が雑談等が苦手な理由
目次
私の簡単な自己紹介
私は自閉症の診断をされています。
診断は大学4年生(22歳)に色々な検査を加味してされました。
会話が上手くできなかった
会話がうまくできなくなったと自覚し始めたのは、小学3年生の頃です。
学校で顕著にでました。
それまでは簡単な会話や掛け声で周りに合わせて行動すればよかったのでそこまで自覚はなかったです。
しかし、学年が上がるにつれて言葉もだんだんと難しくなったり、語彙が増えたりする俗にいう「中学年」に壁に当たりました。
「言い訳」「常識/当然/当たり前のことも…」「言われたことも…」等、私なりの成長で今まで通りの会話では相手には非常に不愉快に感じたそうで、顰蹙ばかりかっていました。
当時の対策
当時の私は辞書等を使って注意された言葉の意味を自分なりに理解しようと必死でした。親も「人に聞く前に自分で考えなさい」という方針だったので、まずは自分で調べて自分なりの解釈をする。それでも注意されたらどういった間違いをしたのかを相手に質問をする、ということをしていました。
しかし、質問された相手はそれも不愉快だったそうで、私に教えてくれませんでした。
なので、会話の流れそのものを覚えれば良いのかと考えました。当時は知らなかったですが、今でいうフローチャートみたいなものです。
幸いにも、幼いころから親は寝る前に読み聞かせをしてくれたり、私も絵本や簡単な本も好んでいたので、読書に忌避感はなかったです。今振り返ると、読み聞かせがあったから「会話の流れを覚えよう」という考えがでたのかもしれません。
なるべく、色々な登場人物が出る作品を選びました。理由は「会話が頻繁」にでるからです。
現実はそう甘くなく、「読書→流れをつかむ&語彙を増やす」これだけではダメでした。理由としては、本と実際の場面にそぐわない流れが多かったからです。
なので、周りの観察も始めました。
「読書→流れ&語彙→観察→本のどのような流れか当てはめ→読書→…」とひたすら繰り返し、実際に会話して修正などをしていました。
苦手な理由:今まで表現していた説明
私は雑談等のふわっとした会話がとても苦手です。
理由は「当時の対策」で述べたように、私は基本的に本からの引用で会話をしているからです。
なので、雑談などのコロコロと話題が移り変わり、深く考えないような会話では私にとっては、脳内の図書館ダッシュなのです。
図書館を思い浮かべてみてください。
不規則に本は収納されていないと思います。私は雑談の話題で図書館の入り口から話題のジャンルまでたどり着き、場に合ったような本を探さなければなりません。
しかし、(体感では)相手は雑誌を読む/めくるような感じで会話を続けてきます。ペースがとても追いつきません。
相手が一人ならまだしも、複数人の場合は相手側は雑誌をパラパラめくるようなペースで話題がずれていったり、とんでいったりするなかで、私は頭の中の図書館をめぐらないといけないのです。
Twitterである方に私のイメージは、「頭の回転速度は速いが誤差が出る。その誤差に気づくもの早いが微調整が苦手」とご指摘いただきましたが、まさにその通りで正鵠を射ていると思いました。
雑誌のような話題/ペースに図書館から雑誌の内容に合わせるのは、とても難しいです。「微調整が苦手」というのは雑誌と図書とでは情報量が違い、大方が図書>雑誌の情報量です。そのため私は調整のために質問をして何とか合わせようとしますが、相手側は情報がないので理解できず、結局ズレがでてしまい、会話が成立しにくいのです。
今後の説明/表現の仕方
私は、Twitterで様々な方と交流するようになり、新しい例えがでてきました。
また、その考えは仮説として私以外の発達障がい等の雑談のような会話が苦手な方にもある程度の当てはめができるのではないかと考えています。
Twitterでのやり取りがきっかけで仮説ができ、発想の起点はADOS-Ⅱの絵本じゃないかと考えています。私はADOS-Ⅱ英語版モジュール3を確定診断の際の検査で受けています。
科学的根拠も先行研究もしていない、心理学士の仮説ですが…。