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都会暮らしの秋 下

「…なんで答えなかったわけ。奥さん困ってたよ。」
 彼女が気を遣ってした質問に、彼女は答えなかった。あの家で過ごした時間はあっという間で、とても充実したものであったのに、今隣の座席で黙っている彼女の周りの空気だけが、よどみ、異様な空気を醸し出していた。
 帰りの電車の中でも、相変わらず彼女は何も話さない。あの「質問」はこのやせっぽちの神経質な女には刃のような鋭さを持っていたに違いない。彼女の無口ながらも弧を描いていた唇は途端に歪み、粉の拭いた右手の指の第二関節を執拗にかきむしり始めた。この癖は彼女は動揺したときにするもので、私は幼い頃からこの状態になる従姉妹をずっと見てきていた。
 毎年正月の2日か3日に、母方の親族の家に挨拶に行く。そのくらいしか関わる機会がないので渋々ながらも私は両親に連れられて母の実家に赴くのだが、そこでは必ず、5つ上の従姉妹が薄気味悪くリビングのソファの端に腰かけているのだ。彼女ははきはきとした母と母の妹にはまるで似ていなく、得体のしれない君の悪さがある。髪の毛は黒く、外に少しはねていて、鋭い鷲鼻と、濁った黒い瞳はつねに窓の外か、落ち着きなくまわりを見ている。
 そんな彼女から、シェフの家に行きたいと言われたとき、私は正直どういった反応をしてよいかわからなかった。けれども彼女もシェフの知人で会ったし、珍しい申し出だったので私は特にそれを拒否することはなかったのだが。
 「…こめんなさい。気まずくさせちゃったね。」やっとでた言葉は口先だけの謝罪だけであった。私は苛ついて、脚を組みなおし、持ってきていたBluetoothのイヤフォンを耳にねじ込んだ。あいにく充電が切れていたので、音楽を流すことはできず、従姉妹の独り言を遮断することもできなかった。
 彼女は大学を卒業してから、フリーターとして近所の総菜屋の裏方で働きながら、何やら実家の部屋にこもってネットビジネスをしているらしい。憶測でしか言えないのは、彼女の実の家族も実際彼女が何をやっているのか知らないからである。実家にいくらかお金も入れているし、朝晩の食事は従姉妹が作っているから、特に文句もないし、何も知らないわよと今年の正月の集まりで私の母の妹、つまり従姉妹の母があっけらかんと言っていたことは覚えている。だから、私にとってもあのシェフの奥さんの質問は、知りたいことではあったのだ。
 私の従姉妹が大学を卒業してから、いったい何をしているのか。
でも結局、彼女は口を閉ざし、その沈黙から逃げるように今、2人は東京行きの特急で帰路についている。
 彼女がなぜ、話したくなかったかはわからない。何を考えているかわからないから、シェフの家にいたときもなんとなく気まずかった。電車でもなんとか会話の糸口を見つけようとする彼女の声が痛々しく、自然と目線はスマートフォンの画面に落としていた。
ふと横をみると、従姉妹が私の顔をあの、濁った沼のような黒い瞳でぼんやりと見つめていた。何かを言いたそうに口の端が動いているが、一向に一文字目は始まらなかった。
 ばっかみたい。何に怖がっているんだか。

「だっさ。」
電車は勢いをつけて都会に向かい、電車から見えるビルはだんだんと高くなる。最初は美しいピンク色の夕焼けも、秋の闇にとりこまれ、街燈が下品に夜を照らしている。秋の陽気はすぐに終わってしまうようだ。


P.S モチーフになった出来事は最近あったのですが、エッセイにするのもなんだかもったいない気がしたので、思い切って小説にしてみました。思い付きで書いたので、拙筆ではありますが楽しんでいただけると幸いです。

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