対話 to me
私はがらんどうの思想の中で、創造性というオアシスを探している哀れな仔羊である。
人の感情に敏感なものの、その繊細さが芸術につながったことはあまりない。いつだってその敏感さの奥にあったものは人よりよく見られたいといった自意識だ。隣人には私が設定した「私」のイデアを見てほしかった。私が凡庸な人間ということを気づかれないように私は様々な策を巡らせていた。
人を騙すのは簡単だった。私はアジア人ではなかったので語学に堪能と思われるのは容易だったし、成績も良かった。
皆私に興味をいい意味でも悪い意味でも持っていたし、年齢が上がるにつれて日本人は皆それぞれに私への差別意識を持っていたから簡単に会話に入ることができた。
私は他の人よりも容易に自分の城を築くことができた。たとえそれが中身のないハリボテだとしても、充分だった。
少しずつ綻びが出てきたのは、私がそのハリボテの城を本物の豪邸と勘違いするようになってからだ。
大学であった人々の中で、誰の期待でもなく、純粋に今置かれている状況を楽しんでいる友人を見た。なんの見返りを気にせずに、自分の研究を続けている先輩を見た。さまざまなコミュニティの中で、愚鈍に夢を追い続ける若者を見た。
彼らは私が小さい頃から騙してきた連中とは明らかに違っていた。私がハリボテの自己意識をせっせと作って連中に見せている間に、彼らは自分だけの建築物を土台から作り上げていたのだ。
私はどうしようもなくそれが怖かった。早く、早く追いついて彼らの上に立ちたい。
だって私は特別な人間で、才能があって、頭がよいから。
でもその「追いつき方」がよくわからない。
どうやったら彼らのようになれるかの「彼ら」の主語が大きすぎて、私の狭量な思考では改善策は見つけ出せなかった。
そして今でもそれに苦しんでいる最中だ。
人と違うこと。そして違う故に優れていること。これは今まで私が拠り所にしていた私のアイデンティティだった。
しかし、成長していくにつれてこの単純な思考が機能しないことを悟った。
では、どうすればいいのか?
彼らに足を引っ掛けたり、追いついて歯がいじめにしたりする方法はわからない。でも、それでも。
彼らのように自分だけの城を作りたいと、そのために彼らの元に走っていきたいと思うのは、今までよりも「健全な」思考なのかもしれない。
ハリボテの城をトンカチで壊して、その破片から土台の材料を探す。少しでも何かの足しになればと。
(今はそのトンカチもどこにあるやら)