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おばあちゃんの嫌いなもの

 私の祖母は、とても厳しい。気性も荒いほうで、私が小さい頃は自ら家庭教師として私に勉強を教え、私が回答を間違えると厳しく叱った。手を滑らせて食器を落とすとその日のご飯は無し。ブランコに乗れないことを知ると一日かけてブランコの乗り方を指導された。ジュースを飲みたいというと味噌汁を飲まされ、薄着で外に出ると追いかけて肌の見えない服にその場で着替えを強要されることもあった。
 孫にまでこの厳しさだから、娘である母はこれ以上に彼女の厳格な教育を受けてきたのだろう。その甲斐あってか、母、私共に自由人に育ってしまった。反動とは恐ろしい。

 こんな調子だから、もちろん私と祖母の関係はあまりよろしくないと予想する人もいるだろうが、実は意外と仲が良い。
 今でも会えばそれなりに会話は弾むし、私の仕事や活動も特段口をはさむことはない。彼女もそれなりに芸術に理解があるから、私の繊細な部分に触れることはない。多分、彼女は彼女なりに私の踏み込んではいけない部分も感づいているのだろう。
 祖母も、私と同じでかなり気難しい、神経質な面がある。一番わかりやすいのが食の趣味だ。
 祖母は、安全なものを好む。肉はしっかりと火が通ったものを。焼くだけではなく、必ずフライパンに蓋をして蒸し焼きにする。魚も同じで、刺身ではなく焼き魚、煮魚を好んで食べる。そのため、彼女の作る料理はなんとなく焦げくさい。卵も生のままでは口に入れようともしない。ゆで卵は半熟なんてもってのほか。黄身が緑色になるまで固くゆでる。口の中の水分が持ってかれるので、水をのみながら卵を食べる。
 野菜も、生野菜ではなく、蒸したり、煮込むことが多い。大根は煮崩れを起こすほど火を通して食べる。
 祖母は、戦争の匂いがするのを嫌う。
 ほうじ茶、サツマイモが多く入った混ぜごはん。鳥の肉は、まだ彼女が子供だった頃、疎開先で飼っていたニワトリに追い掛け回された記憶があるため、口にしない。
 祖母は太平洋戦争が終わる頃には小学生だったから、それなりに記憶もあるのだろう。自らの戦争の体験を、彼女は決して孫たちには直接言わない。私が知っているのは母からの又聞きか、ふとしたときに彼女がする思い出話の中のほんの一部分からで、後者に関しては一言も漏らさずに私が覚える必要がある。

 祖母は気性が荒い。その上好き嫌いも激しいので、多くの人から誤解をされている。私は誤解をしてしまう人の気持ちも、祖母の気持ちも両方わかる立場にある。
 祖母は優しい。祖母が愛した二人の娘は、祖母に反発しながらも独自の新しい道を切り開き、一人は気ままに、もう一人は世界に羽ばたいた。
私も祖母に愛されている実感がある。祖母は決して口にしないが、私の作ったアップルパイが、3つともなくなっているのは、多分そういうことだ。

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