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#120 "I'm hungry." "Me too"のMeは間違いか。

前回「英語教育」の11月号の記事について触れたが、同じ号のQuestion Boxでは、「me tooのmeはなぜ目的格なのか」という質問が載っていた。"I'm hungry."に対する答えだったら、"I'm hungry, too."となるので、主格のIを使った、"I too"ではないかという理屈である。記事は3ページ程度にわたっており、かなり丁寧な回答となっている。

記事では、権威ある英語辞書であるOEDの、meの項目の第5義では主格Iの代役を務めるmeに関して、「口語英語では一般的でありながら、18世紀以来多くの文法家から非標準的であるとみなされている」という部分が引用されている。このOEDの引用部分に対して、同記事では次のような指摘があり、興味深い。

…meの多様な用法の方が先にあった。伝統的なラテン語文法を手本として、英語にも名詞の「格」という概念を持ち込んだいわゆる「伝統文法」が後から出来た。後から出来た文法で、既に確立していた慣用が割り切れないだけであって、me にはなんの責任もありません。

大修館「英語教育」11月号 Question Box (p.71) 太字は筆者

なお、記事中では中尾俊夫・児馬修編著(1990)『歴史的にさぐる現代の英文法』(大修館書店)の中の寺島廸子氏の「it's me 構文」が紹介されていた。こちらも併せて、読んでみたいと感じた。

Voicy「英語の語源が身につくラジオ」では?

なお、この問題については、堀田先生のVoicyで既出の問題だったので、一層興味深く読んだ(個人的には、質問者か回答者がこれを聞いていたのでは?とも感じた)。

同配信では、通時的に考えて、youの場合は既に主格と目的格が同じであることや、whoの主格と目的格が一緒になろうとしていること、つまりwhoがwhomに取って代わろうとしている現状が示された。

その観点から考えてみると、このIとmeの動きもまた、まさにいま、その流れに乗ろうとしている可能性もあるのでは、とされた。これもまた興味深いポイントである。

上記の通時的に考える視点はQuestion Boxでは示されていなかった。なので、記事と合わせてこの配信を聴くと、さらに考えが深まるのではと思われた。

#Metoo運動

語源についてのサイト、Etymonlineでmeを調べると、最後の方にmeが含まれている表現が示されているが、最後は2017年のThe #MeToo movementである。

この#Metooから#KuToo運動が生まれたのは記憶に新しいが、これだけの社会問題を表す言葉である以上、文法的に正しいとかどうとか言っても、もはや"I too"にはならないと考えられる。

まとめ

本記事だけでなく、しばらく前の記事から、I-my-me-mineの4語について、しばらく追ってきた。なかなかこの4語についても沼は深い。本当に帰って来れるのかと思う次第である。

実際、特に今回のIとmeについても、Wikipediaの印欧祖語の項目に次の言葉が記されている。

人称代名詞はそれぞれ固有の屈折語形をもち、複数の語幹を持つものも存在する。一人称単数が好例で、この区別は現代英語においても"I"と"me"として残されている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Proto-Indo-European_language

紀元前の記録を持たない時期(だいたい紀元前4000年ごろと言われる)に使用されていた印欧祖語からあったとされるIとmeの歴史について、割と最近に考えた理屈を当てはめようと思っても、そう簡単な話ではない。meが目的語領域を超えて主語領域のどこまでを担うのか、ゆっくりとしたその変化を(できれば)さらに追っていきたい。

今日はそんなところです。

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