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潔く手放す

英文で見つけた、仏陀の言葉(と言われるもの)を訳してみた。

In the end, only three things matter:
how much you loved, how gently you lived
and how gracefully you let go of what not meant for you

最期に大事なことは、3つだけ
どれほど愛したか、どんなにやさしく生きたか
自分にふさわしくないものは、潔く手放したか

功績とか偉業とか財産とか、目に見える成果や貢献はもちろん素晴らしいのだが、それよりもっと大事なのが、いっぱい愛せたか、やさしい生き方ができたか、そして、自分にふさわしくないものを潔く手放すことができたかだーという教えだ。

「愛する」は人生の基本だし、みんなが「やさしく生きる」ことができれば世界中の争いは消えるぐらい大事なテーマだけど、今回は耳慣れない「潔く手放す」について探ってみようと思う。

英語の gracefully let go の直訳は「優雅に行かせる」。でも、この場合の「優雅に」は相手を敬いながら美しく、いくら悔しくてもゴネずに身を引いたり、負けを認めたりできる「潔い」あり方。「行かせる」は「手放す」。

何を「手放す」のかというと、things not meant for you「あなたのところにあるべきじゃないもの」

自分にふさわしくないものとか、ためにならないものとか、前は必要だったけど、必要じゃなくなったものとか。

例えば、くじ引きで当てたワイングラスセット。ワインなんてめったに飲まないし食器棚もいっぱいだけど、せっかくもらったんだからと、箱のまま押入れに...

または、もう何年も着ていない服。流行も体型も時が経てば変わるもの。とは言え、ボーナスはたいて買った服だし、またいつか着ることもあるかも...

時間ができたら読もうと思って、積んである本。もう観ることもないDVDの山。使いこなせてないハイテク電化製品。未使用のDIY工具。昔、集めてたゲーム・漫画本・マスコット類。

Are these things meant for you? (これらの物々って、今の自分にふさわしいのかな?)

これは、人との関係にもあてはまる。

毎日のようにツルんでた仲間なのに、最近どこかしっくりこない。サポートしてあげてた頃は無二の親友のように感じたけど、その役割が終わったら共通点を失った。一目ぼれでつき合い始めたものの、なんか違うと思えてきた。子どもが巣立ったとたんに夫婦の接点がないことに気づいた。

それまではすごく貴重だった関係も、今の自分にはその関係性を調整する必要があるのかも。

でも、大事にしてきた物や人を let go するのは、本当に難しい。

手放したあとの寂しさや空しさを想像すると、すごく恐いし、長年の情もある。だから、いくら家が狭くなろうと、関係が悪化の一途をたどろうと、そのまま保持しておくほうが無難~と思うのもしかたない。

でも、要らない物が散在する家は気の通りをふさぎ、マンネリの関係は退屈極まる停滞感で淀み、縛り合いの二人はドロドロのぬかるみにはまっていく。

そして、そのうち、無理やり対処に強いられる状況が訪れる。

例えば、急に引越しすることに。でも、きれいに洗濯してアイロンかけてバザーにとか、どうしても読みたいヤツだけ選んでなんて「優雅に」やってる余裕はないから、そのまま全部ゴミ袋に押し込んで捨てるはめに。

これの人間関係版が絶交、勘当、蒸発、不倫発覚、離婚訴訟等々。突然の断絶に関係者全員がボロボロに傷つき、立ち直るまでに何年もかかることも稀じゃない。

物の「断捨離」が日々習慣的にやっていくといいのと同じで、人間関係も「なんだかしっくりこないな」みたいな気持ちに気づいて、チェックを入れていくようにする。

物も人も、どうしようもなくなってから切り捨てるんじゃなくて、徐々に 、やさしく、敬いながら let go できたらいいよね。

今の自分にとって、本当に価値があるものって、実はそんなにたくさんはないのかもしれないし。

物も人も抱えすぎず、スケール縮小して、空間をいっぱい作りたい。そして、自分にふさわしい、本当に大切なものを、時間をかけて、ていねいに、かわいがり、はぐくみたい。

リサイクルされる物が大喜びなのと一緒で、手放した人はそれなりに解放されて、いい方向へ進んでるはず。

これまた win win のお話しですね~✨✨

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