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五感が教えてくれること
五感のすべてを失うと、人はどうなるんだろうか。
聴覚や視覚など、五感のどれかを失う病気があっても、私が知っている限りでは五感を失う病気はない。
今、観ている月9で放送中のドラマ「君が心をくれたから」は、好きな人を死から助ける代わりに、自分の五感を差し出し、順番に1つずつ五感を失っていく雨ちゃんという女の子の話。(永野芽郁ちゃんの透明感やばい)
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ドラマが面白いかどうかは別として、このドラマを観はじめてから、五感が私たちにもたらすものについて考えるようになった。
五感の役割
五体満足で健康に生きていると、あらためて人生における五感の役割を考えることは少ない。
もしかしたら、目が見えなかったら?耳が聞こえなかったら?と想像したことはあっても、
触覚がなかったら?
味覚がなかったら?
嗅覚がなかったら?
あまり考えたことがなかった。
コロナ禍で、味覚や嗅覚があまりなかった時期もあるけど。。私の場合は幸い、一時的なものだった。
毎週、1話ごとに五感を失っていく雨ちゃんを見ていると、当たり前だけど、あらためて、五感は外の世界とのつながりをもたらしてくれるものだと思った。
この外とのつながりがなければ、どんな状態になるのかを想像すると、そこは暗闇の無の世界。
真っ暗の中、何も聞こえない、触れてもわからない、においもしない世界。
ほぼ植物状態なのに、意識がある状態。
そんなの死ぬより辛いじゃん。
嬉しいことも嫌なことも、そもそも五感がなければそれを認知さえできないんだよね。
こんな当たり前なことなのに、普段はあまり考えないから、すごく衝撃に近い発見だった。
当たり前って気づきにくい。
失ってはじめて、そのありがたさに気づくのが人間である。
美味しいものを食べたときの嬉しさ
美しい景色を見たときの感動
好きな音楽を聴く喜び
お花の香り
誰かのぬくもり
五感によって、外部の情報を取り入れて、それによって、私たちはいろんな感情を味わうことができる。
それだけではなく、痛みを感じなければ体の不調に気づけないし、目や耳とかにおいから、危険を察知できる。
五感は、人間として生きていくためにも必要なとても大切ものだった。
当たり前の中にある幸せ
五感のすべてを失うことを知りながらも、与えられたタイムリミットの中で生きていく雨ちゃん。
これはドラマの中の話だけど、なんだかこのドラマを見初めてから、些細なことにちょっと幸せを感じることが増えた。
風が肌に当たったり、綺麗な空を見たりすると、「はぁー、幸せだな」って思う。
前も思ってたりはしたけど、さらにそう思うようになったのかもしれない!
そんなことを考えていると、「るろうに剣心」に出てくる、剣心の師匠である比古清十郎のセリフを思い出した。
春は夜桜 夏には星 秋には満月 冬には雪 それで十分酒は美味い。
それでも不味いんなら それは自分自身の何かが 病んでる証拠だ
五感とは違うけど、なんか世界が曲がっているのではなく、世界が曲がってみえるのなら、それは多分、自分の心の問題だろう。
世界をどう解釈するかは自分次第。
そもそも五感がなければ解釈すらできない。そう思うと、この外とつながっていることにとても価値を感じた。
同じ風でも、同じ景色でも、同じ音楽でも、同じ香りでも、何回も食べた味でも、もしこれが最後なら、その一瞬をもう少し大切にできるのかもしれない。
どんな当たり前も、これが最後だったら、それが尊くなる。当たり前なことに幸せを見出せる自分でありたい。
なかなか、毎日はそのようには思えないけど、これに気づかせてくれる週1回のドラマを観る時間がありがたい。
映画やドラマって、忘れがちなことを定期的に教えてくれる。
作品として好きでもそうじゃなくても、考えるきっかけをくれたりするから、やっぱり幅広く観たいと思う。
ちなみに、「君が心をくれたから」はいろいろツッコミどころはあるけど、私は好きかな。
シンプルにどんな結末になるか、気になる。(うまくやってほしいなぁ🙏)
では!最後まで読んでくれてありがとう。
またねー!