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「ブランクーシ 本質を象る」(アーティゾン美術館)

 思えば私が美術のことを勉強し始めた時、そのときに初めて知った名前の一つが今回のブランクーシ。いわゆる抽象彫刻ということもあり、手がかりの乏しさを感じる人もいるかもしれません。
 写実彫刻をやっていた頃はロダンに傾倒し、そのロダンに激賞されるほどの腕前だったそうですが、「大木の下ではなにも育たない」と言い、ロダンの影響下を離れ、独自の道を歩むことになります。それは単純なフォルムかつ、石や金属といった素材との調和を目指したもの。石の彫刻はごつごつと、金属の彫刻はつるつると流麗に仕上げます。
 ただし、目指したのは単純な「単純化」ではないということ。文献にGoogleレンズをかざすと「単純さは芸術のゴールではない、しかし、本質に近づくことで、知らず知らずのうちに単純な表現を達成する」という趣旨の記述が出てきます。だからなのか、ブランクーシの金属彫刻の、裏面などをよく見るとザラザラした部分も残っていて、そこに"工業製品"で終わらない魅力を感じました。アーティゾンではおなじみの《接吻》も良い感じ。
 
 また、ブランクーシは「作品」としての写真を多数残しております。単なる彫刻作品の資料用ではなく、写真作品としての再解釈を加えたもので、こちらもなかなか乙だなと思いました。

初期作品
接吻(1907-10)
アーティゾンのブランクーシと言えばこれ!という作品。
眠る幼児(1907)
ブランクーシの抽象性に潜む「ザラザラ」。
本文でも触れましたが、ブランクーシにとっての単純化はそれ自体が目的ではなく、
本質を追求する結果として生まれたもの。だからこそ、完全なつるつるには仕上げないのかなと。
ホワイトキューブの中に展示という、そもそものインスタレーションが素晴らしいです。
雄鶏(1924)
風景の青を吸収しているのが良い感じ。
鳥(1930)、だったはず。
フレスコ画(漆喰が使われる、主に壁画で用いられる絵画技法)だそうです。
空間の鳥(1926)
以上、ブランクーシ撮影のモノクロ写真。
独特の雰囲気があります。

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