【写真35枚】「ここは未来のアーティストが眠る場所となりえてきたか?」(国立西洋美術館)
西洋美術館にとって初めてとなる現代芸術展。しかし、西美の礎となる「松方コレクション」を収集した松方幸次郎はそもそも、若い芸術家達に"本物"の芸術を見せてあげようと意図したと言われております。その"本物"の芸術に触れた芸術家たちは果たして西洋の名作と比肩する作品をものにできているのか、今回の開催はむしろ自然な流れと言えるのかも知れません。
今回の展覧会はアーティゾンの行う「ジャム・セッション」と同様に、西洋美術館のコレクションを活用しつつ、現代芸術家たちの作品がコラボレートを行うもの。
そのアプローチは様々ですが、個人的には小田原のどかさんのインスタレーション(3,4)には驚かされました。常設展のエントランスでおなじみのロダン《青銅時代》や《考える人》を免震台から取り外し、横倒しにするというもの。最初このビジュアルを見たときは何事かと思いましたが、地震によって倒壊した上野大仏の写真を見て、何がしたいかはなんとなくわかりました。またアメリカではある奴隷商人の銅像がスプレーで落書きされ、引き倒された状態のまま博物館展示されているとのことで、差別の問題についても提起されているようです。小田原さん自身の作品としては、赤い五輪塔が制作されておりました。歴史的にも、地震によって崩れてもまた積み重ねられる「作品」のあり方というのは興味深かったです。
個人的には石巻市にある門脇小学校校舎を思い出していました。あれは「残り時間」に急かされる形で部分保存(全体の1/3を解体)となった震災遺構だったんですが、崩れてもまた積み上がる五輪塔、将来復元されることはあっても完全な意味で戻ることはないだろう門小校舎…大学時代、卒レポで門小校舎を取り扱った際に感じた「やるせなさ」がフラッシュバックしてきております。
もう一つ、印象に残ったのは弓指寛治さんの膨大な作品群の中にあった〈物語るテーブルランナー in 山谷〉(1,2)。そもそもは鴻池朋子さんが始めたプロジェクトで、個人的体験を語る「語り手」、それをもとに下絵を描く「描き手」(弓指さんが担当)、そして手芸を行う「縫い手」の三者の協働によってイラスト風のテーブルランナー制作を制作するというもの。しかし山谷では「縫い手」が見つからず、珠洲市の方々に一度依頼したものの能登地震の影響で断念、秋田の方々が代わって引き受けたという経緯があります。
3-4年前に鴻池朋子展があったときに特に好きだった作品だったこともあり、思わぬ「再会」に不意を突かれてしまいました。そこにあるだけでも妙に心が温まってしまう、優しい作品でした。
竹村京さんによる、個人的な好きな作品であるモネ《睡蓮、柳の反映》(1917)を紗幕で「修復」した作品も面白かったです(5)。あの破損にこそ作品の、そして西洋美術館としても重大な歴史があって、それに"直接"は干渉せず、鑑賞者の想像力に委ねる形での「修復」というのが印象的でした。常設展に置かれると割と通り過ぎられる方の多い《睡蓮、柳の反映》ですが、私が来た際は写真を撮られている方が多かったように思いました。
その他、気になった作品で言うと布施琳太郎さん(6,来場者が影の自撮りをしているのを見てて、映像芸術というより、「光の芸術」という印象でした)、小沢剛さん(7,藤田嗣治がもしパリではなくバリに行ったら…という映像・絵画作品)、内藤礼さん(8,白いキャンバスとセザンヌ…に見せて、実はキャンバスにほーんのわずかに色彩が乗っているという、かなりトリッキーな作品)あたり。
松方幸次郎の構想した「共楽美術館」と現在の西洋美術館を同等に扱えるのか、その点は正直疑問が残ります(結果が同じでも、それに至る過程の違いが引っかかります)。しかし、松方の理念を引き継ぐ形での現代芸術とのコラボレーションは今後も行われて良いと思いました。情報過多なところなど、近代以前の作品を展示する西洋美術館で現代芸術を展示する勝手の違いも感じたのですが、そういうのも定期的な開催を通じて改善されていくのかなと。
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