「激動の時代 幕末明治の絵師たち」(サントリー美術館)
日本の19世紀、近世(江戸後期・幕末)から近代へと変わっていく、時代の雰囲気を感じられる展覧会です。そう思わせる展覧会の構成が素晴らしい。
近世日本絵画の保守本流とも言える狩野派の作品からスタートし、写実的な谷文晁一門の作品、銅版画・泥絵に現れる西欧的な写実の世界、そして国芳・芳年…血なまぐさい幕末の時代を通り過ぎ、近代に入り三代広重や小林清親が展開する、人の活気に満ちた祝祭的雰囲気のさなか、井上安治が単純ではない気持ちを投げかける…。複数の作家が登場する展覧会の場合、時々キュレーター(担当学芸員)の意向を無視して、自分が楽しみたいように楽しんでしまうこともしばしばあるのですが、本展はしっかりした「ストーリー」のラインに沿って、適材適所の作品が配列されていたように思います。
一つ一つの作品で数百字の記事が書けそうな内容的ボリュームがあるのですが、特に印象に残ったのは最後の、安治による風景画が観れたのは嬉しかったです。小林清親の弟子であり、杉浦日向子の『YASUJI東京』(ちくま文庫)でもフィーチャーされている夭逝の浮世絵師ですが、観たのはこれでまだ二度目とかでした。
初代広重のような雰囲気がありつつも、棒人間のような淡泊な人物表現に現れる、後年のユトリロやジャコメッティなどを彷彿とさせる様子が印象的です。画家であることには違いなく、会場で安治の作品に出会ったときは「や、安治だ!」となってしまったほどでした。
もう一つ、驚いたというか笑ってしまったのが安田雷洲による洋風画《赤穂義士報讐図》。忠臣蔵ですが、よりにもよってキリスト生誕にちなんだ銅版画《羊飼いの礼拝》を参考に描いてしまい、マリアが大石内蔵助、生誕したキリストが吉良上野介の生首、そして羊飼いが四十七士…ととんでもない置き換えが実現してしまった作品。「マリア」となった内蔵助が慈愛に満ちた顔で吉良の首を抱きかかえる…おかしいはおかしいんですが、ただ、キリストの誕生と吉良の死がマリア(内蔵助)に抱きかかえられることで、真逆の現象が一つの線で繋がる面白さもあります。キリストの生誕が人々にとっての救いであったように、吉良への復讐が四十七士にとっての救いだったのか…正否はともかく、そう考えられるのは面白いと思いました。
そのほか、文晁の弟子である渡辺崋山《坪内老大人人物画像画稿》の迫力、服部雪斎《葡萄と林檎図》に観られる淡々とした迫力。北斎が有名な《神奈川沖浪裏》の前に同じモチーフで洋風版画を手がけていたというのも興味深いですし、銅版画に対する取り組みは日本文化の学び倣う習慣が非常によく現れています(開国以降の影響が強いのも確かですが、それ以前からも欧化のトレンドがあったというのは大切なことだなと思います)。国芳が披露する混じりっけなしの「修羅」、弟子の芳年はそんな国芳が応えきれなかった幕末の不穏なマインドを引き受けてくれたかのよう。開国前に描かれた菊池容斎《呂后斬戚夫人図》は見るも残酷な絵ですが、本当に残酷なのはその惨劇を壇上から見つめる呂后の姿なのかも知れません。
元々私自身が学生時代に『YASUJI東京』や同じ杉浦日向子の著書『江戸へようこそ』を読んだ影響で(また山口晃の影響で)、大きく言えば文明論というか、特にこの時期の変化というのには割と興味があったのですが、そんな自分には非常にうってつけの展覧会でした。肯定・否定というような、後世の人間が一つの方向で決めつけるのではなく、その時代を生きた人達の「声」が聞こえるような、そういう展覧会になっていたと思います。
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