偽りの親子丼
初夏というには酷暑なある日のこと、冷蔵庫の中に木綿豆腐が置いてあった。
どうやら家族がパッケージを見間違え、絹豆腐だと思って買ってきてしまったらしい。我が家の場合、私以外は基本的に絹しか食べない(どうやら食感があまり好きじゃないらしい)。私もたまに高橋由一インスパイア系の焼き豆腐を作ったりするぐらいで、この暑い日にわざわざ焼き豆腐を作ろうという気分でもない。
どうしようか… と悩んでいた折、ふとYouTubeでみた「肉そぼろ」のことを思い出した。それも、ひき肉を油とめんつゆで炒めるだけという、非常にシンプルなものである。私はそれを、この豆腐で「代用」できないかと考えたのである。
豆腐には水分が含まれるため、肉とは違い水切りが必要になる。耐熱皿に乗せた豆腐をネット情報を参考にレンジで加熱してあげると(300gで600W2分半ぐらい)、サウナ終わりのようにホカホカな豆腐とともに白い水分が皿に出てくる。これを捨てたのち、豆腐をフライパンで、木べらで砕きながら炒める。
味付けは麺つゆ、醤油、砂糖を適当に。そして我が家で肉そぼろを作るときの流儀で、胡椒を少々。
このそぼろをとりあえずご飯に載せていただいたわけだが、これがまぁ美味い。ただの代用品で終わっておらず、「そぼろ」という料理自体、そもそも肉である必要性は無いんじゃないかと思ってしまったぐらいだ。肉と比べてまるで遜色ないどころか、目を閉じて食べたら、肉との違いはひょっとしたらわからないかもしれない。
こうして「豆腐そぼろ」は私の料理レパートリーに加わり、先日も自ら木綿豆腐を購入、また新しい「豆腐そぼろ」を作り、うどんのトッピングとして加えていたりもした。
…少し大量に作リすぎてしまった。いくら「美味い」といっても、同じものばかりを食べていたらさすがに飽きてしまう。
再びどうしようか… と悩んでいた折、枕元で、何者かが私に命じたのである。
「その『そぼろ』を使って、親子丼を作りなさい」、と。
そしてその声は、
「トーフと共にあらんことを(May the Tofu be with you)……」
とも言い残し、その声はスーッと消えていった。
目覚めると、私は寝汗をかいていた。
それにしても豆腐そぼろを使った「親子丼」とは何だろう。
一般的な親子丼とは鶏肉と卵を使った丼のことを言うのであり、豆腐と卵はそもそも「親子」ではない。こういう、いわゆる「豆腐の卵とじ丼」を世間一般で何と言うか、ネットで調べてみると「豆腐の卵とじ丼」という、あまりにもそのままの名前がつけられてしまっている。
強いて言えば「他人丼」かもしれない。が、他人丼とは「鶏肉以外の肉」(デジタル大辞泉より)を使った親子丼風の丼のことで、果たしてこのそぼろは「肉」としての役目・職責を果たしきれるのかどうか。もちろん、私はこの「豆腐そぼろ」を生み出した立場として、彼のポテンシャルの高さを信じている。しかし、卵でとじられたそぼろが果たして自分らしく活躍することができるのか… 私は上京した子を見守る親のように、その行く末を心配していた。
とはいえ、「親子丼」自体はそこまで難しい料理ではない。カットした玉ねぎをツユで煮て、そこに豆腐そぼろを追加。ある程度玉ねぎに火が通った段階で溶き卵ででとじ、丼ご飯に盛るだけ。彩りで小ねぎとノリも追加する。
そして出来上がった丼を一口食べ、私はつぶやいた。「あ、美味い」、と。
確かに醤油・砂糖・麺つゆといった、調味料に左右されているところもあるのかもしれない。しかし乾煎りした木綿豆腐の「そぼろ」は親子丼全体の味になじんでいるだけでなく、卵のとじられた中でも十分な食感を発揮している。普通の親子丼にはあまり入れない胡椒も良い。ちょっとしたスパイスが親子丼全体を引き締めてくれている。
「加藤さん、私は果たして鶏肉なのでしょうか…?」
と、肉豆腐でも麻婆豆腐でもない、予期せぬ職責に思い悩む豆腐に対し、
「安心して、君はもう立派な『鶏肉』だよ」
と、声をかけ続けるようにして豆腐を煎り、調味料を振り… 鶏ひき肉同然の調理法を施しているうちに、なんということだろう、彼は、「豆腐そぼろ」は、今や立派な「肉」としての独り立ちを始めていたのである。
しかも、彼はもう卵にとっての「他人」ではない。
だいぶ昔に他人丼を作ったとき、牛肉と卵があまりなじんでおらずモヤモヤしていたのだが(料理した人間の力量だと思うが)、それよりも遥かに近しい関係だ。そう言えば小津安二郎の映画『東京物語』でも、東京見物に来た老夫婦を誰よりも親身に支えたのは、血の繋がりが無い、亡き息子の妻ではなかったかと。
というわけで、私はこれを「親子丼」と呼ぶことにした。
「鶏じゃないじゃん」とツッコまれたら「まぁ、そうなんですけどね」とは言うけど、ただの代用品では終わらない、木綿豆腐のポテンシャルの高さを改めて感じたのである。
「立場は人を作る」とは、まさにこのことであると思った。
人ではなく、豆腐だが。
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