平和を愛する人
日露戦争。
小国日本が大国ロシアに勝利した世界史に残る大きな出来事。
日本とロシア、国力差は、10回やって1回くらい勝てるかなぁくらい。
対米開戦前の日本とアメリカもだいぶ国力の差がありましたが、それよりも全然大きな力の差があったようです。
10回中1回くらいは、、。
その1回がたまたま最初にきた、みたいな。
両者死力を尽くした戦いではありましたが、ロシアの方はまだ、余裕がありました。
ロシア側としては、
日本海海戦で大敗を喫したのだから講和会議ではある程度日本側の要求は飲むけど、この戦争に負けたとあんまり思っていない。
交渉がまとまらなければ、
「戦争の続き、やったろやないか!」
という感じ。
一方日本は、とても戦争継続なんて無理。
武器や弾薬はもうないし、お金もあちこちで借りまくってるし、、。
何とか交渉をまとめて、
「戦争を終わらせないとマジヤバいっす」
という感じ。
なので結局、
戦争を終わらせることが何よりも大事だったので賠償金はとりませんでした。
めっちゃ、借金があるのに。
日本国民はこれまで税収とかでめっちゃ苦労してきたのに。
それでも、、。
日本は戦争が始まる前からどうやってこの戦争を終わらせるべきか考えていました。
戦争前、
「これはもうロシアと一戦やるしかなくない?」
という状況になると講和の仲介をアメリカに打診しています。
まともにやって勝てるわけない、
戦況優位なとこで速やかに講和に持ち込んで、、。
というふうに常に戦争のやめどきを考えてオールジャパンでことにあたりました。
(太平洋戦争とはえらい違いです、はい)
大国ロシアに勝った!
それは良かったのだけど、その後が良くなかったです。
やっとこさ、ギッリギリで勝った、いや勝てたのにそのことはマルっと隠蔽されます。
「日本強い!」
「日本すげぇ!」
「この人たち(日露戦争を指揮した軍人たち)神ってる、てかもはや神」
みたいな空気が日本中を覆い、、、。
しまいには日米開戦前、
「日本とアメリカ、確かに国力にずいぶん差があるけど、日露戦争時のロシアとの差ほどはなくない?ロシアに勝ったわけだから、アメリカとやってもいけるっしょ」
みたいな理屈がまかり通り、、。
政治とか軍事とかの分析ってこんなんじゃないべ。
まじないわ~
太平洋戦争に負けたのは日露戦争後、勝って兜の緒を締めなかったからです。
明治天皇は戦争には反対でした。
そもそも平和主義者で公家出身(公家は戦争とか血とか嫌い)、あと立憲君主の立場を考えたからです。
日露戦争で華々しい戦果の報告を受けても、表情を1つも変えることはなかったそうです。
日本人もそしてロシア人も、多くの人が亡くなっている。
そのことを重く受けとめておられた。
明治天皇にとって開戦したこと、それ自体が深い悲しみだったのです。
日本側がロシアの将兵の名誉を傷つけず、敬意を持って接したのも、
ロシア人捕虜に対して丁寧に接したのも、
もともとの日本人の精神もさることながら、明治天皇の思いがそれとなくみんなに伝わっていたからなのでは、と思います。
最後に、明治天皇が日露戦争開戦にあたり詠んだ有名な和歌を。
「四方の海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらん」
(世界の海は1つなのに、なぜ波風がたってしまうのだろうか)