【ミニマリスト】僕の幸福論
こんにちは、ぶるベリです。
今回は、ゆるーく僕が幸福を感じる瞬間について書いていこうと思います。記事というよりかは備忘録的な感じですね。あまり、気張らずに進めていこうと思います。
「幸せ」とは何か。この問いについて考えたことのない人はいないんじゃないかなと勝手に思っています。
この幸せについて、何か一つの言葉で表すことは難しいなと感じているので、今日はこの投稿の中でその問いを解明していきたいですね。少々、お付き合いください。
まず、幸せについて議論していく前にはっきりさせておきたいことが一つあります。それは、誰目線で定義するかということです。
僕は、幸せには万人に対する絶対的な定義はなく、また、相対的な指標で定義できるものでもないと思います。もう少しかみ砕くと、国語辞典で書いてあるようなものではなく(言葉自体の意味は出てくるが)、他人と比べることでもないということです。
どういうこと?と思った方が居ると思いますが、正常です。あえて、そう思わせました。
つまり、何が言いたいのかというと、幸せはそれ自体に言葉の効力を持つものではなく、「感じるもの」だということです。
「感じる」ということは、自分の心の状態を指す言葉であって、幸せの感じ方というものは、人それぞれというわけです。
この前提を置いたうえで、僕の幸せの感じ方(以下、幸福論)を書いていこうと思います。
そこで僕はどのようにして、幸せを感じるのか調べるために、過去(もしくは今)どのようなことに幸せを感じたのかについて思い出してみることにしました。
今、思い出せるのは、以下のことです。
・困っている誰かを助けたときに感謝の気持ちを伝えられたとき
・実家に帰ってご飯を作ってもらったとき
・古い友達が毎年自分のことを遊びに誘ってくれるとき
・空腹状態のときにご飯を食べたとき
・朝遅くまで寝ることができたとき
ぱっと思いつくことでは、これくらいです。
この中で、一番嬉しいことは何かと言われれば、断然1位は感謝の気持ちを伝えられたときなのかなと思います。
おそらく僕は、誰かに何かを尽くすことで自分の中で幸せを感じる心の構造になっているんだなと思います。これは、社畜になってしまう典型的なマインドなのかもしれないので、そっちの方向に向いてしまわないように注意したいです(笑)。
あとは、共通するところは、普段当たり前だったものが失われたことによって、その大切さを身に染みて感じているときなのかもしれません。今、一人暮らしをしている僕は、両親や地元の友達に絶大すぎる感謝の念を感じています。本当に僕のことを今の今まで愛してくれてありがとうという気持ちです。これを書き上げているだけでも幸せな気持ちになります(笑)。
ということはですよ。まとめると、
①他人に対して何かをする
②他人に対して感謝の気持ちを持つ
この2つが僕にとっての幸福論なのではないかと結論が出ました。これが答えなのかはわかりませんが、逆説的な考えてみれば、この2つのことをしていれば不幸にはならないなとだけは自信を持って言えることです。
たまに、僕自身不幸な気持ちになってしまうことがあるので、その時はこの2つを実行することでマインドから幸せになっていこうと思います。自分の取説ができたみたいで少しうれしい気持ちです。
目次も何もない記事でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。