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【mom】no. 3: 母がてんかんだとわかり、母の本音を初めて聞けた日
こんにちは!
今回は
前回のメモから約1週間後の
2/17 に私が残していたメモを
整えつつ、記録していきたいと思います。
前回の記事:
母の病気について綴った記事はこちら:
※母の許可を得て書いています。
※(一応)くも膜下出血や失語症、てんかんに関する内容が含まれます。
2024/2/17 (土)
今日は月1のお父さんとお母さんと
ランチからのお茶の日。
(※私が1人暮らしをはじめてからは
しばらく続けていました。)
今日は2人が家まできてくれた。
お母さんが
たくさんお肉とか油揚げとかを
持っていくと言ってくれたみたいで
朝、お父さんから
「こんなに持っていくって言ってるけど、大丈夫…?」
ってLINEきてた。
全然いいよ!って返信した。
お母さんは思ったよりも元気だった。
前会った時よりも
なんか言葉も、雰囲気も
病気する前に近かった。
家に着いてすぐ
お母さんがトイレに行っている間に、
お父さんが、お母さんは手術しなくてよくなったよって
言ってきた。
でも
てんかんって先生に言われたって。
この前の仕事に行くって言い出したのが発作だったんじゃないかって。
病院で脳波を測ったら、てんかんの脳波が出て、
運転ができないって。
最近は、脳卒中とかてんかんで事故を起こすと
すごいたたかれるので
絶対にやめてくださいって
先生に言われたんだそう。
お母さん、すごいショック受けてた、って。
2年間はだめらしくて、
そのあとはまた様子見なのかな?
そんなこと、お父さんが言ってた。
お父さんが先生に
「てんかんは完治ってあるんですか?」って聞いたんだけど
その定義は難しいって。
薬を飲んでいる状態で何もない状態をいうのか
薬を飲まないでいい状態をいうのかで
後者だとちょっと難しいかも、って
先生言ってたって。
午後、両親と私は
電車で都内を移動してた。
病気をしてからも
それまでと変わらず、だいたいの時は
にこにこして、可愛い顔で微笑んでいる
お母さんだったけど、
今日のお母さんは
電車で、私に寂しいって言ってくれた。
「なんとかなると思ってるけど、、ね、、」って。
不安そうだった。
そりゃそうだよね。
ある日突然倒れて
流暢に言葉が出てきて
仕事をして
車を運転して
料理をして
自由に友達と会っていた日常が
なくなってしまったんだもんね。
午前中、
家でお父さんが、
この前は
肉じゃがを作ろうとしたけど
フライパンで、じゃがいもと肉と玉ねぎを
炒めただけになっちゃって
味もなかったよねって言ってた。
お母さんに向かって
優しく笑いながら、次は作れるかな?って。
私が小さい頃から
お母さんがずっと言ってくれてた
「かりんはゆっくりなんだから、
焦らなくていいんだよ、ゆっくりでいいんだよ」
を最近仕事してて何回も思い出してたけど、
私も今日お母さんに言ってみた。
「ままは、ゆっくりでいいんだよ。」
少しずつ、ひとつずつでいいんだよ。
きっと大丈夫だよって。
お茶して、渋谷で両親とバイバイした瞬間から
一気に寂しく、悲しくなったけど、
この気持ちも大切にして、大事にしていきたい。
やっぱりお母さんのこと、
大好きなんだなって思った。
一緒に頑張ろうね、お母さん。
私にできることは
少ししかないかもしれないけど
できる範囲で支えて、力になりたいなって思った日だった。
さいごに
前回の記事で書いた
母の様子は、実はてんかんの軽い発作だったことがわかりました。
これから約5ヶ月後の先月7月、
母はけいれんを伴うてんかんの発作を起こし
自宅から救急搬送されて
1週間強、緊急入院しました。
発作の翌日は
言葉もほとんど話せなくなっていたりと、
今でも闘いは続いているんだなと思います。
(言葉は幸い、退院した時点でほぼ元通りになってました!)
またこんな感じで綴っていきますので、
よければ覗きにきてくださいね。
それでは!
Karin