近世百物語・第七十六夜「祖母のおとぎ話」
子供の頃、祖母が楠木正成公のことを話してくれました。子供が眠る時に、おとぎ話でもするかのように……しかしそれは、けして楽しげではありませんでした。と言うのは、軍紀物にあるような、血沸き肉踊るお話ではなかったからです。どちらかと言うと陰陽師としての正成公の伝説が中心でした。
あまり知られていませんが、正成公の伝説には霊的なものを退治した物語が多くあります。
われわれ播磨陰陽師が良く使う、
——アマテラスオホミカミ。
と唱える〈十言の神呪〉も、かの正成公が息子に伝え残したものです。
祖母の話によると、ある時、正成公の屋敷にたくさんの亡霊が出たことがありました。亡霊たちは、毎夜、屋敷の付近に現れては家中の人々を恐怖に陥れました。それらは、皆、正成公が殺した人々です。
家中の人々が正成公に、
「怖ろしいので亡霊を何とかして欲しい」
と訴えました。願いを聞き入れた正成公は亡霊が出た時に雨戸を蹴破り、
「わしに殺された者どもよ、死んでも、まだ、まよって出るのか? 哀れなヤツらめ」
と言って大笑いしました。すると、その言葉と笑いに祓われた亡霊たちは、二度と屋敷に出ることがなかったそうです。
その時、
「哀れに思うことを相手に伝えて後、笑うことが最も簡単な祓いになる」
と、祖母が教えてくれました。
そして、
「笑うだけでも祓いになるが、特に哀れに思う強い感情を持つことが、こちらを驚かす種類の霊体に対する基本的な対応になる」
と言っていました。
また、正成公が罪人の首を切ろうとした時、その罪人が、
「子々孫々に至るまでお前たちを呪ってやる」
と言ったそうです。
人々が怖れる中、正成公は、
「では、その証拠として、首が胴体から離れた時、あの松の枝に齧り付いてみよ」
と、近くの大きな松の木を指差しました。
すると、罪人は、
「お安いご用よ。きっと、松の枝に、齧り付いて見せようぞ」
と言って、首を切られたそうです。
首が胴体から離れた瞬間、罪人の首はピョンピョンと飛んで、見事、松の枝に齧り付きました。
それを見て怖れ戦いた近臣たちに、
「もう、あの罪人の最後の気力は松の枝にのみ向けられてしまった。われらを呪うだけの力は残っておらぬ故、安心するが良い」
と言って笑いました。
その後、誰にも何の厄もなかったそうです。
このお話に続けて祖母は、
「人が死ぬ時の恨みの力は、別な場所に向けさせるとその効力を失うものじゃ。それはどんなものでも同じだ」
と言っていました。
ちなみに、人の首が胴体から離れても六秒くらいの間は意識があるそうです。その間にピョンピョン飛べるかどうかは別として、強い恨みごとを念じる時間はありそうです。
恨みを持った人の死の瞬間が長ければ長いほど、その恨みは強く土地に残ります。そして、その情報を無意識に読み取れる人がいれば、それはこの世で力を得て、死の瞬間に想像した通りの世界を造り出すのです。これが恨んで死んだ人の基本的な恨みの晴らされ方です。
正成公の他にも、祖母は昔の武将の話が好きでした。源の義経公の話も多かったような気がします。
その話では、
「義経公が、まだ、牛若丸の時、われわれ播磨陰陽師の祖先のひとりである鬼一法眼公の娘を誑《たぶら》かし、秘匿されている秘伝の虎の巻を盗み見た」
と言うものでした。
秘伝の虎の巻と言うのは六韜の第四巻の〈虎韜〉のことです。六韜は三略と共にわれわれ播磨陰陽師が学ぶ基本の〈剣の書〉と呼ばれています。
播磨陰陽道には〈剣の書〉の他に〈鏡の書〉と〈勾玉の書〉と呼ばれる書物郡があります。これらを基本的なテキストとして播磨陰陽道を学ぶのです。ちなみに〈鏡の書〉は『古事記』などの神話関係の書物です。そして〈勾玉の書〉は『金烏玉兎集』などの霊術関係の書物が中心となります。播磨陰陽道ではこの三種類の書物郡を学びますが、祖母はほとんどまる暗記していたようです。私は一部しか暗記していませんが、やはり昔の人は記憶力が優れています。
義経公が見た〈秘伝の虎の巻〉には、基本的な戦略とか、少ない人数の軍隊が大勢の軍隊と戦って勝利する方法などの秘伝が書いてあります。これはなかなか面白い本です。
われわれ播磨陰陽師がこの本を大切にするのは、藤原鎌足公がまる暗記するほど愛読していたからです。
伝承では、
——当家は、鎌足公の子孫である小野の篁公の末裔である。
と伝えられています。
小野の篁公と言えば、昼間は朝廷に仕え、夜は地獄の閻魔大王に仕えていたとされる伝説の陰陽師です。京都の六波羅蜜寺や千本閻魔堂の井戸が地獄につながっていて、篁公がそこから地獄へ出入りしていたそうです。
私も井戸を見に行ったことがあります。その時から、時々、夢の中に閻魔大王が出て来ます。閻魔大王は仏法の伝説なので信じていませんでしたが、
——陰陽道の秦山父君と言う神の別名だ。
と言う噂もあります。
閻魔大王については辞書に、
——インド神話で光明・正法の神、のち、人類最初の死者であることから死の神として冥界を支配した王。仏教に入って、一方では六欲天の一となり(夜摩天)、他方では地獄の主となり、一八の将官と八万の獄卒とを従えて、地獄に堕ちる人間の生前の善悪を審判・懲罰すると言う。経典により、地蔵菩薩の化身と言い、天部といい、異名も多い。その像は、古くは仏像に似て、左手に人頭をつけた旗を持ち水牛に乗るが、のち、中国の服装で忿怒の相をなす。
とあります。私が夢で会う閻魔大王はこれとは違うような気がします。もっと神的な感じがして、少し厳かな気すらしています。所詮はただの夢なのかも知れません。
ちなみに、関西には地蔵盆がありますが、この地蔵と言うのは、
——閻魔大王と、本来、同じものだ。
とされています。
さて、その篁公の子孫が赤穂浪士のひとりの小野寺十内翁です。私はその十内翁の子孫にあたります。どのくらい血が濃い子孫なのかは別として、私はこの先祖に顔が似ています。ですので、いくつかSNSの顔写真にこの十内翁の写真を使っています。それは祖先に対する私なりの〈礼の心〉なのかも知れません。
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