10月26日 子供と檻
『サーフ・スプラッシュ』桜井亜美
今日読んでいた本。わたしがこの本を手にしたのは、この前大型書店で遠藤周作の『深い河』と並べられていたから。
『深い河』と並べられていた理由は少しわかる。でももう『深い河』を読んだのもずっと前なのでぼんやりしていて言葉にはできない。
この本の解説は、竹内結子さんだった。
まだ竹内結子さんがハタチの頃の解説
出版された年は平成11年。20年も前の話。
竹内結子さんが亡くなったのに乗じて、目につくところに置かれていたんだと思う。たぶん。けれど、なんとなく買ってしまった。あんまりそういう売り方好きじゃないけれど。だから、『深い河』を思い浮かべながら買うことで、少し心を紛らわせた。
買った時はこの本が20年も前の本だと知らなかった。たまたま背表紙をめくったときに、平成11年という文字が見えた。
20年も前だけど人間なにも変わってない
ヒトミとチサト
この2人がお互いに出し合う手紙のやり取りだけで話が進んでいく
二人の間の手紙なのにたくさんの人が出てくる。チサトやヒトミの家族はもちろん、友達、クラブ仲間、バイト先、学校の人…
孤独だ
でも、心にある孤独を知り自由に生きるチサトと心にある孤独から目を背けるように生きるヒトミ。彼女らの周りでも「孤独」を抱える人たちがたくさん出てくる。裏切られたり愛されていなかったり。でも、何かに必死になる。生きることに必死になる。
逆に彼女らを愛してくれる人もいる。
でも彼女らはその愛をそれぞれに拒んでしまう
チサトの生き方も自由そのものだが、ヒトミの生き方もそれはそれで自由な気がする
でも彼女はその自由さに目を背けていたんじゃないだろうか。自分は救われないと思い込んで。決意する。
愛あるものも孤独を埋めるためのものも彼女らはする。犯す。彼女らを憎む人からの孤独な仕打ちも受ける。
この本は読んだあと、一体なんだったんだろうって少しぼーっとしてしまう。かき乱される。でもなにか大切なことを教えてくれたような気がする。孤独も優しさも愛も寂しさも。
わたしの周りにはいなかった。いやいたら軽蔑されていたと思う。特にチサトのような自由さは。
それだけわたしも含めてわたしの周りも多くがそのレールを歩いてる。
この本を読んでると、やれ働けだの、やれ就活だの、やれ課題だの、全てがどうでも良くなってしまう。
気づいたら生まれていて一つのレールを与えられた。本当は自由にレールを敷いていい。でも不安になるから誰かの真似をする、何かに怯えてしまうからレールをまっすぐに敷く。その敷き方が時として脈々と受け継がれる。
でも、いつか、好きなように敷きなさいと必ず言われる。「大人になりなさい」って。
大人ってなんだろう
自由に生きれば大人なのだろうか
チサトは大人なんだろうか
でも、私たち不思議で、レールを敷くのを止める瞬間は神様に任せてしまう。自分で敷くのをやめた人を「可哀想だ」とか「もったいない」とかいう。そして、出来るだけ、出来るだけ長く敷こうとする。短いと「若いのに…」なんて言っちゃって。
だから
いつまでも大人になることはない気がする
自由に敷くことができるようになれば大人
だとしたら、短さも太さも思うがままにいかず、誰かにカタチを見られながら敷いているうちは大人になれない。
でもそれで良い
大人になる必要なんてなくて
好きに敷いてけばいい。そして誰かにそのレールを見てもらえれば良いんだと思う。
これが結構難しいのかもしれないけれど
そのレールを自分自身が愛してあげる
これも結構難しいけれど
初めて読んだのは20年も前の話。竹内さんは最期の夜にこのお話を思い出しただろうか。
わたしは今から課題に取り掛かる