「応援しているよ」「がんばれ」と友人にメッセージで送ろうと思った。 そういえばその友人はドイツ語を勉強中だときいたから、ドイツ語で送ってみようと思い、Googleで検索すると、「ドイツ語にはがんばれにあたる語はない」という言葉ばかりがヒットする。 幸あれ!成功を祈るよ!のような類の「応援文句」はあるものの、「がんばれ」そのものはない という衝撃 日本語を母国語とし、中国語や英語を勉強してきた自分としては「がんばれ」が翻訳できることが当たり前だった。 つまりどの言語にも
「政治?なんだか難しそう」「まあ、選挙は時間あったら行こうかな…」 政治への関心が様々な世代で薄れている。昨今、政治的な主張のタグがトレンド入りしたりするけれど、トレンド入り=関心の上昇ではない 政治への興味がないとか選挙に行く気はないとかそんなことを言われたときなんて返そうか、職業柄よく考えてしまう。 今日は、「政治への関心って持つべきなのか」をラフに考えていこうと思う _ そもそも「社会」ってなんだろう、からスタートする 社会って共同体なのだろうか、「社会科目
頭の良さについて最近考えている。 様々な選択肢があって、様々な生活環境がある現代。 生まれてすぐに、自分自身の子どもに英会話教室やそろばん教室に行く機会を与えている家庭も、学校教育以上の教育を与えない(られない)家庭もある。 わたしの見ている範囲で、小さいころから塾に行くと「頭がよくなる」という傾向はみられない気がする。やはり、人それぞれの性格・能力があって、与えられているだけでは処理しきれないのかもしれない。 中学受験は親が大事 ってよくいう。そりゃそうで、小学生
今日は3月の11日です。 この日が、なにか日本中を包む、大きな意味のある日付となったのは10年前のこと。 (※以下、地震等に関する描写が出てきます) 私は当時小学生でした。小6の卒業を間近にひかえお祝いの品を作っている最中に起こりました。最初は非常に小さな揺れで、日常的なレベルのものだと思っていたところ、大きな揺れが襲ってきました。 「地震が来たら机の下に隠れなさい」なんていうけれど、地震が来たら机の下に隠れた経験なんてその日までありませんでした。何かが落下する危険性
私はサイレンの音が大嫌いだ。寝るときに聞こえる救急車の音、消防車の音、耳にこだまして頭の中でがんがん鳴る。 甲子園で試合が始まる前にサイレンが鳴る 私はあれが苦手だ ちいさいころ、「火垂るの墓」を観た。全然怖いと思わなかった。かわいそうだなあとは思ったかもしれないけれど。 私がちいさい頃は毎年夏は必ずテレビで「火垂るの墓」をやっていた。いつからだろう。夏に放送されなくなったのは。 それから数年後わたしは沖縄に旅行に行った。はじめてひめゆりの塔に行った。ひめゆりの塔に行
2020年がついに明けた。でも、だからといって世界が急に変わるわけではない。昨日までの日常が急に非日常になりはじめた1年間を過ごしてきた我々が、今日という日でその非日常から解放されるわけではない。なんなら、あの時から始まった非日常がもはや日常化しつつある。 それでも、1日1日進んでいて、2020年という1年は暦上終わりを告げた。「2020」なんだか綺麗な数字だった1年は希望に満ちたものではなく、悲しくて寂しくてでもどこか人間が繋がりを求めるように、這いつくばった一年になった
メイクをする わたしはこの行為がほんっっっとうに嫌いだった。第一に面倒くさい。ただでさえ眠い朝に、外に出るためにわざわざメイクをする。一体誰のために?なんのために? またさらに「メイクをしない女性はいない」みたいな価値観もものすごく嫌だった。だからどうしてオンナはメイクを半ば強制されるわけ? たまに、電車で凄技を繰り広げている人がいる。駆け込み乗車したと思えば、立ったまま化粧ポーチを取り出しメイクを始める。ここまで凄技じゃなくても、乗り込んで空いた席に座ったと同時にメ
たとえば、眼鏡をつけてないのに眼鏡をつけているときの癖でついつい鼻に手をあてて眼鏡を持ち上げようとする。あっ、今日眼鏡してないじゃんなんてその時気づく。 たとえば、肘を壁にぶつけた。思わず「痛っ!」と叫ぶ。でもぶつけた肘はさほど痛くなくて、音の鈍さまたは(感覚のない)壁のかわりに発してしまった「痛っ!」という言葉に笑ってしまう。 「私の身体」と言った時、それはきっと、私の意思で動く範囲(頭の先から足の指先、手の指先)を指すと考えられるだろう。 でも私たちの感覚はもっと、
「プライド、ゼロじゃん。少しはプライド持ちなよ。プライドを持つことって悪くないんだよ。」 これは小学生の時に教えてもらっていた大学生の先生から言われた言葉。その先生の真意はわからないけれどすごくよく覚えている。 高校生の頃だろうか。これもまた、教わっていた先生に、「プライド全然ないね」と言われた。 なんの話だったのか全く覚えていない。でも両者とも勉強中だったことは間違いない。 なんとなく、小学生の頃のわたしはあの言葉を言われて逆に、プライドを持たない方がいいなと思って
孤独だなあ そう感じたことがある人、どれくらいいるんだろう。 昔住んでいた街は、商店街がある街だった。 小さな頃、母の買い物について行くことでたくさんの人に可愛がってもらえた。少し母が別のところに行けば、わたしは商店街のお店の中にいれば安心して過ごせた。お店の人も母もわたしも馴染みだから。話し始めるとそれはもう長くて、子どもの頃は「今日はすきなテレビがあるからはやくはなし終わらないかなあ〜」とか「逆にもっと長く話してくれたらこのお店をぐるっと楽しめるなあ」なんて思ってた
「姉ちゃんの恋人」(フジテレビ) 10月27日からスタートした連続ドラマ。最近ドラマを観るのにハマっているわたし。このドラマも見てみた。 このドラマは、2020年の今が舞台 あるあるの恋愛ドラマだ 少し違うところだけ見ていきたい 主人公は、ホームセンターで働いている。5月ごろの混乱(マスクを求める様子)や、緊急事態宣言下でも働けたことがどれだけ家計にとって良かったかを語る。彼女の友人は旅行関係の仕事についているため未だに苦しい状況であったりする。 印象的なシーンは
『サーフ・スプラッシュ』桜井亜美 今日読んでいた本。わたしがこの本を手にしたのは、この前大型書店で遠藤周作の『深い河』と並べられていたから。 『深い河』と並べられていた理由は少しわかる。でももう『深い河』を読んだのもずっと前なのでぼんやりしていて言葉にはできない。 この本の解説は、竹内結子さんだった。 まだ竹内結子さんがハタチの頃の解説 出版された年は平成11年。20年も前の話。 竹内結子さんが亡くなったのに乗じて、目につくところに置かれていたんだと思う。たぶん。
特定のアイデンティティを持つ わたしはこれを誇りにしていた。そのことで誰もわたしをいじめなかったし、わたしのアドバンテージにもなった。と思ってた。 グローバル化が進む中で、ハーフや両親の出身と子供の出身地が違うことなどって当たり前になってきたと思う。 身の回りにもたくさんいる そして自分もそう 昔は、アメリカ人(ヨーロッパ人)のハーフが良いなあと思っていた すらっとした見た目への憧れ、(わたしの苦手だった)英語がハーフだったらすらすらできるだろうなあという羨望
https://m.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f8d18e8c5b62dbe71c43c37?ncid=tweetlnkjphpmg00000001 フィンランドの首相がファッション誌の表紙を飾った際に胸元が大きく開けた服を着たため論争を巻き起こしたらしい。 議論が巻き起こった理由は様々なところにあるだろうが、「フェミニズムの考え方に逆行してると感じる人たち」と「好きな服を着る権利(主にフェミニズム側)を主張したい人たち」との考え
10月も下旬 受験シーズンまでもう3ヶ月 自分が受験生だった頃を思い出す。秋の心地よさと、夕方の日の落ちる速さのギャップに焦燥感をおぼえ精神的にキツかったような、そんな時期だった気がする。 塾には色んな子が来る 受験のために通う子も学校で良い成績を取りたい子も。ただ一つ同じところがあるとすれば、通う前より成長していることが望まれているところだろう。こどもより親の方がそう思っているはず。 時々思う 何のために良い成績を取りたいのか もちろん答えは単純で、「将来のため」