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問題行動は切ない叫び
大人しい子どもだったと思う
自分の気持ちを言わない子どもだったと思う
我慢はきっと誰より早く身につけた
泣かない
怒らない
いやだと言わない
やめてと言わない
それをしたらきっとまた痛い思いをするのだ
・
いい子にしていたら元に戻ると願いながら
児相の職員が運転する車が到着したのは
愛されたかった
という思いを
その悔しさを
怒りという方法で表出する子どもたちがいた
怖くはなかった
彼らは私に優しかった
1日目から仲良くしてくれた
荒れ果てた生活環境に入って何日か経った頃
私がしたかったのはこれだ
と心のどこかで思ったのだろう
当時担当職員から貰っていた手紙には
ここにきてからずっと強くなりたいと言っているね
本当の強さってなんだろうね
一緒に考えていこうね
と書かれている
力があれば
強い言葉を使えたら
こんなことにはならなかった
無意識に見てきた父親の行動から
強さを思い違えていることがうかがえる
今振り返れば
簡単なことなんだけど
当時10歳くらいの子どもが
強いと聞いて真っ先に想像するのは
・
・
悪いことをしているのは分かってる
だめだとも思っている
それよりこの傷に、この悔しさに、このさみしさに、だれか気づいて
どうして自分はここにいないといけないの?
きっとここに連れてこられた大半の子が
同じことを思っていたはずだ
大人の前では悪さばかりする彼らも
子ども同士になれば自分の傷を話していた
そして誰かを助けたいのだという
どんなに荒れた子でも
その思いは持っていた
子ども同士で聞きあい、共感しあい
こうだったらよかったのにと話していた
誰よりも傷ついていて
誰よりも当事者の気持ちがわかるのは
紛れもなく当事者だから
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