アメリカ史を学ぶために岡田斗司夫さんのYouTubeの内容を書き出した④『宇宙開発競争と4人の大統領』

4人の大統領とアポロ計画

第二次世界大戦の後、ソ連は世界最初の人工衛星スプートニク1号を飛ばした。これによってアメリカ中が大パニックになった。

ソ連はいつでもアメリカに核ミサイルを打ち込むことが出来る、こう言うパニックが広がっていった。

早くどうにかしなければ。対抗策は!?という事で、強烈な危機感によってアメリカの宇宙開発は進んでいく。

アメリカで始まったアポロ計画と4人の大統領にフォーカスしていく。

4人の大統領

アメリカは第二次世界大戦で海外に介入していった成功体験をしていた。このように力を外に向けていたのを必死で抑えて、押し留めて内政に力を注いだドワイト・アイゼンハワード大統領。彼はノルマンディー上陸作戦の英雄。


国民からの絶大な人気を受けて当選したが、インドシナへの直接介入を進めてしまい、結果的に泥沼のベトナム戦争を大きく進めてしまったジョン・F・ケネディ大統領。

ケネディ大統領が暗殺された後、一気に宇宙開発を進めたリンドン・ジョンソン大統領。

全てのケツを持たされてしまったニクソン大統領。良い人か悪い人かで言えば悪いけど、可哀想な立場だった。

宇宙のイメージは銀から白へ

2001年宇宙の旅を制作している1964年から67〜8年の間に宇宙服は銀色々から白に変わった。
第二次世界大戦で活躍した飛行機は無塗装の銀色だった。ウルトラマンも科学特捜隊の乗り物も銀色。そして、プラスチックの時代がやってくる。モーターショーのクルマも64年を境に銀から白に変わっていく。

ジョンフーボルトの計算と説得によって、月軌道合流方法が採用された。宇宙開発の予算も始めは白紙の小切手を渡されて際限なく使っても良いと言われていたのご、段々と削られていった。ケネディが60年代の末までにと発表したことによって、宇宙ステーション案もなくなった。
世間でも宇宙よりも公民権運動をどうにかしなければ、というのが時代の背景にあった。

こうして、宇宙開発は夢や技術の問題ではなく、予算とスケジュールの問題になっていった。

ソ連と冷戦兵器

スプートニクが打ち上がった。スターリンが倒れ、ソ連の新しい指導者ニキータ・フルシチョフがトップに立った。フルシチョフは財政が破綻したソ連を立て直すべく、安くて効果的な兵器を開発しようとした。
第二次世界大戦のスターリン体制で調子こいていた軍部はひたすら人数を増やそうとしていた。
こんなことではソ連の経済五カ年計画、西側の経済成長に追いつけというのは達成出来ないと思ったフルシチョフはなんとか軍を縮小、安く済ます方法はないかと考えていた。

核兵器を積んだアメリカのB52爆撃機が24時間ソ連の国境付近を飛んでいる。この包囲体制を突破する方法は無いものかと考えていた。それが核ミサイルだった。核爆弾を積んだミサイルでアメリカを直接攻撃する。これは安くつくという事でフルシチョフは、ほうと思った。

しかし、原爆とミサイルの両方を作るのにも金がかかる。もっと安くて良い方法があると提案したのが、ロケット科学者のコロリョフだった。
電波を出す機械を宇宙に打ち上げて、それをアメリカの上空に一時間半でグルグルエンドレスで回したら彼らは恐怖で震え上がるでしょう!と。人工衛星スプートニクだ。

コロリョフのアイデアを気に入って、フルシチョフは人工衛星を採択した。1957年10月に世界初の人工衛星スプートニクは打ち上げられた。

軍部の予算と大統領

ソ連の人工衛星打ち上げに世界中がしょうげきを受けた。特にアメリカが受けたショックは大きかった。というのも、アメリカの方が宇宙開発技師は高かったからだ。

この頃、後にアメリカの宇宙開発を牽引するフォン・ブラウンはドイツから亡命してしばらくは、アラバマの田舎に閉じ込められ、新しい開発をさせて貰えなかった。

どうしてかというと、1950年代の大統領であるアイゼンハワード大統領(ノルマンディー上陸作戦を成功させた陸軍の将軍が戦後、大統領になった。)は、現実主義者だからだ。

今では歴史上最高の大統領と評されているのだが、当時ケネディ大統領が新しい政策を打ち出して、ウケていたために何もしなかった大統領と言われていた。

今の研究では、当時悪くなろうとしていたアメリカを一人で止めていた大統領だったと言われている。
例えば、1945年7月。第二次世界大戦が終わろうとしている時、あと時間の問題だと言われていた時にトルーマン大統領は原爆投下させようとしていた時に、一人で原爆投下を止めようとしていた。そんな事しなくても戦争は終わるし、占領政策はややこしくなるだけだと進言していた。

また、軍産複合体(軍部と産業が結託して、売り上げを伸ばすために、また軍部の力を維持させるために戦争を拡大させて、戦争を長引かせる動き)にアレルギーを持っていた。
ノルマンディー上陸作戦とは軍産複合でなければ出来ない物量作戦だったため、その指揮をとっていたアイゼンハワード大統領はその恐ろしさを知り尽くしていたのである。

第二次世界大戦後、兵器の売り上げは激減した。航空機を作っていた工場はアルミニウムやステンレスの使い所に困っていた。

台所の流し台をステンレスにしようとか、お風呂のバスタブを考え出した。これらはアメリカの兵器産業の生き残り戦略でもあった。なので、軍産複合体は新しい敵と新しい戦争を必要としていた。

そのためにでっち上げたと言うと語弊があるが、ソ連の脅威を吹きまくった。スターリン亡き後、フルシチョフ書記長の頃には他所の国を攻めるだけの力はなかった。アメリカ相手に戦争する体力は無かった。

ソ連側としては、強い国であるように見せておかないと、アメリカに攻め込まれると思っていたので、強そうに見せていた。

アメリカ側もどこまでそれを知っていたかはわからないが、アメリカの敵である、脅威であるとして戦争をしかけた。

このキャンペーンは大成功した。
第二次世界大戦中から対戦後までドイツや日本のファシストを鬼のように憎んでいたアメリカ人が、5年もしないうちに、あいつらはもう自由陣営で敵では無い。それよりも今はは共産主義、社会主義国が怖い、憎いという流れに変わっていった。これはこの時代の軍産複合体が一大キャンペーンを行ったおかげである。

アイゼンハワード大統領とインドシナ戦争

アイゼンハワード大統領は軍産複合体と、それに踊らされている民衆の声をなんとか抑えようとして、軍事予算が膨らむのを食い止めていた。

当時フランスが経営していた植民で起きた革命運動やら植民地戦争であるインドシナ戦争では、前任のトルーマン大統領騒が始めた支援を止めることは出来ないまでも、予算を減らそうとしていた。

また、ニクソン副大統領は小型の原爆を使わせてくれと言ってきたのを却下した。
更に、朝鮮戦争では使えなかったB29爆撃機が第二次世界大戦では活躍したため、インドシナに送って一気に解決させようと言っていたのも却下した。

とにかく、アメリカ側がインドシナに直接行く事をずっと阻止していた。しかし、その努力も虚しくジョン.F.ケネディが大統領になってすぐに全部パァになってしまった。植民地を経営していたフランスが撤退したにも関わらず、インドシナ半島に直接介入する事を決めてしまい、ベトナム戦争に突入していく。

ベトナム戦争とアポロ計画は表と裏の関係にある。世界をコントロールしたいアメリカにとって夢と悪夢の表と裏なのだ。


そんな時代背景の中で、アイゼンハワード大統領は軍事予算が膨らまないようにする目的でロケット開発を止めていた。フォンブラウンチームをアラバマ州ハンツビルに閉じ込めてロケット開発はしなくて良いとずっと言っていた。

スプートニクショック

しかし、スプートニクの打ち上げで情勢が一気に変わってしまった。アメリカは93分ごとに自分の家のラジオから流れる人工衛星のピーピーという電子音にパニックになってしまった。
ソ連はアメリカを宇宙から攻撃出来るとか、アメリカには時代遅れの飛行機しかないなど思い込んでしまった。(スプートニクショック)
実際のスプートニクは一号で130kgまでの積載量で、2号でも500kgだった。当時のソ連は原子爆弾を2t以下で作ることはできなかったので、まだまだ原爆をロケットでアメリカまで飛ばすことは出来なかった。

しかし、アメリカ人は過剰に反応して、明日にでもミサイルが降ってくるんじゃないかと思っていた。ソ連が恐れるのも当たり前で、アメリカは兵器とミサイルが揃ったらすぐにでも攻撃してくると思ってしまう。

(ちなみにそれは裏を返せば、アメリカも核兵器とミサイルを持ったらソ連を攻撃しようとするようなやつだということ。何かに怯えるという事は、何かあったらそれをやりかねないと思っているから。怯えている当人がやりかねないから怯えている。)

第二次世界大戦でファシストとの戦いに勝って、これこらは自由な民主主義の時代が来ると楽観的に沸いていたアメリカは、スプートニクショックで一気に空気が変わったのだった。戦争でソ連に負けるかも知らない、それは明日かもしれない、という絶望感にシフトしていく。

アメリカのロケット開発と軍事予算

そんな頃、我々ならそれに勝てます!というプレゼンが行われた。

一つは、アメリカ陸軍。ドイツからフォンブラウンを引き抜いてきた陸軍のレッドストーンロケットなら可能だと言った。

次の一つは、アメリカ海軍。大戦艦巨砲の時代は終わった。これからは飛行機の時代だといって予算縮小に怯えた海軍がバイキングロケットというのを出して、ソ連に負けないロケットを作れる事をアピールした。

もう一つは、空軍。空軍が正式に発足されたのは第二次世界大戦後だった。大戦の最中は、陸軍航空部隊というのであって、それが独立して空軍になったのだ。空軍力でアメリカは戦争に勝ったわけだから、戦後空軍の予算が増えてきた。

しかし、海軍の予算は縮小出来ない。陸軍は朝鮮戦争で大活躍したので、相変わらずデカイ面をしている。空軍が出来た事で、アメリカは戦争も無いのに予算がどんどん膨らんでいってしまった。

アイゼンハワード大統領は三軍のパワーバランスをとって一番大人しい状態を保っていた。ロケット開発を進めてしまうと、三軍がそれぞれに無限に金を使うだろと考えて、ロケット開発を止めていたのだった。

1957年10月4日、スプートニクが打ち上がった5日後にどれかに決めなければならないという事で、アメリカはバンガード衛星を打ち上げるために海軍のバイキングロケットを使うことに決めたのだった。しかし、バンガード衛生の打ち上げは失敗し、アメリカ最大の恥とまで言われた。

陸軍のフォンブラウンチームに任せた方が良いロケットは作れたのだが、そうしてしまう事で、以後のロケット開発は陸軍の扱いになってしまうと考えて避けたのだ。空軍のロケットも良かったが、戦後伸びてきている勢力なので、これ以上力をつけさせたくないと考え、同様に採択されなかった。政治的な判断で、その時に一番予算が削られていて、空母を作ることしか許されてなかった海軍に任せることにしてパワーバランスを保とうとした。

しかし、バイキングロケットの発射は発射2秒後に大爆発を起こしてしまった。バンガード衛生は無事だったが、コロコロと転げ落ちて、ピーピーという発信音を鳴らすという情けない様子が世界中に生中継されてしまったのだった。

これを踏まえて、陸軍は『我々なら60日で人工衛星を打ち上げてみせます!』と言った。そして、1958年1月31日にフォンブラウンチームはジュピターCロケットで、エクスプローラー衛生の打ち上げに成功したのだった。ソ連に遅れること2ヶ月半でアメリカ初の人工衛星を軌道にのせることに成功した。

しかし、アメリカが打ち上げにゴタゴタしている間、ソ連はスプートニク1号を打ち上げた1ヶ月後にスプートニク2号を打ち上げており、そこにはライカという犬を載せて生きたまま帰還させたのだった。以前ソ連の宇宙開発がリードしていたのだ。

ソ連とアメリカのロケット技術の差は誰が見ても明らかだった。ソ連は500kgのものを打ち上げられるのに対して、アメリカは1.3kgだった。ロケットの性能差がミサイルギャップと呼ばれるようになった。

キューバ危機とロケット

フォンブラウンチームに予算とチャンスが回ってきた。しかし、他の火の手があがる。
アメリカはキューバに出資していて、アメリカの植民地のような関係であったが、1958年12月31日、この日にキューバの大統領がパーティーの席上で突然辞任宣言をした。逃げるように出て行ったあとで、部隊が突入してきて「今からここは我々が占拠する」とカストロがやってきて」キューバはこれから共産主義国になる」と宣言をした。いわゆるキューバ革命が起きてしまった。マフィアが作っていたカジノやホテルなどもカストロ政権に窃取されてしまった。

そうして、アメリカとソ連の軍事力は完全に拮抗してしまった。第二次世界大戦後はアメリカには、原爆や戦略爆撃機もあり、圧倒的に優勢だったのが、スプートニクの打ち上げから追いついて来てしまった。

そして、インドシナ半島の共産主義革命が起こり、キューバもソ連に対して同盟を宣言した。これによってアメリカの包囲網が出来上がっていった。更に、ソ連もアメリカも原爆、水爆の両方を持っていたので直接戦争を始められなかった。
その代わりに朝鮮半島であったり、インドシナ半島であったり、衛星国家を使って地域紛争を起こした。

そうしているうちに、アイゼンハワードは任期で退き、ジョン•F•ケネディが大統領に就任した。
ケネディ大統領はベトナムに介入し、キューバに対して強気な交渉をするという事をした。これがとんでもないことになるのだが、そのお陰でロケット開発は進むのであった。

大統領と内政と宇宙開発

ケネディ大統領も宇宙開発の予算を削る方向で動きたかった。民主党なので、宇宙開発よりは国内の問題、黒人の人権問題や所得格差などに予算を回したかったのだ。
(民主党は福祉のために大きな政府を目指す。共和党は小さな政府を目指していた。1970年代頃までは。それ以降はあまり差がなくなってきた)

しかし、外交で失策したケネディ大統領は、国民の目を宇宙開発に向けさせるために、仕方なく宇宙開発に予算を投入したのだった。

ケネディ大統領は「あと10年で月に行く」と言っていたが、宇宙開発に熱心だったわけではなく、ベトナム戦争やキューバの失敗から目を逸らすための方策で、これらの事は忘れて空を見ようと演説していた。これによってNASAが誕生して宇宙開発は加速した。しかし、同時にベトナム戦争も加速してしまい、宇宙開発から抜け出せなくなっていた。

なぜなら、共産主義に戦争で負け続けていたアメリカは、宇宙開発を辞めてしまうと、ベトナム戦争の敗北が見えてしまうからだ。
こんな中でケネディは暗殺されてしまい、副大統領のジョンソンが大統領に就任した。

ジョンソン大統領は国内の経済格差をなくすという民主党の目的のために、自分の選挙区であるテキサスに宇宙開発の拠点を持ってきた。
それは、北部は工業、南部は農業という所得格差、教育格差を是正するシンボルとして宇宙開発を使った。だから、全ての拠点をテキサスに持ってきた。
実際アメリカのためになる事と、自分の選挙区に膨大な資金を落とすことに成功した。

しかし、宇宙開発のメンバーに黒人が居ないなどが報道され、成績や能力に関係なくメンバーの何人に1人は黒人を入れるなどの方策が取られるなど、ややこしい事がどんどん始まってしまった。今現在に繋がるアメリカの分断は1960年代末から既に始まっていた。

8年続いた民主党政権は、共和党のニクソンに席を譲ることになる。ベトナム戦争と宇宙開発という金食い虫を背負わされたニクソンは、いかに膨れ上がったそれらの風呂敷を畳むのかに政治生命が尽きてしまった。その後はスキャンダルで失脚してしまった。

まとめ

動画はここまででした。

冷戦とロケット開発が関係していたのは知っていましたが、軍事予算と陸海空の軍部のパワーバランスが強く影響していたことは知りませんでした。

公民権運動や内政との問題と外交が天秤にかけられていて、それが大統領が変わるたびに方針転換していたと思うとなかなかに怖い事だったと思いました。

岡田斗司夫先生、今回も勉強させていただきありがとうございました。

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