【妄想】一人で戦わないオリンピック。そしてパラリンピックへ。
様々な種目で金メダルを獲得しています。
日本人が金メダルを取ると、自分には何も起きていないのに高揚感が生まれます。
国が同じというだけで同一化されてしまうのですから、自分自身も浅ましいなぁと思いながらも、まあ、楽しめるんだから良いかと思っていたりします。
今回のオリンピックは自国開催である事を考えて、かなりの土地的なアドバンテージがあったりもするのでしょうが、こんなに金メダルとれる人が多いんだなあと驚きました。
特に思ったのがスケートボードです。
これは自分の勝手なイメージなのですが、スケートボードは金銭的に裕福な人がやっているイメージはありません。そのため、勝手にスケートボードが競技に加わった理由の一つに金銭的に裕福でなくても、努力次第で強くなれる、有名になれる、という理念がも込められていると思いました。
そんなイメージのあるスポーツに、日本人の女の子があんなにも沢山優勝争いに加わっていました。彼女らの家庭環境や経済状況をまるで知らないので勝手なイメージになってしまうのですが、スケートボードのような競技でも、やはり金銭的に裕福な国が強くなってしまうのかという考えを抱きました。
この状況をどうしたらフェアに出来るのか、そんな事を考えた時に、こんな考えが浮かびました。
選手、選手をサポートする監督やコーチ、資金面の援助などに制限や規制、特定の条件などをつけるとします。
例えば資金を運用して増やすのも可能だとしたら、運用をする人、それを元手にコーチや監督、サポーターチームをコーディネートしたり、そのチームの中に障害者を何人かあるいは、障害毎にポイントを付与し、その人が活躍する毎にポイント加算させるなどの条件を設定したりします。
これをする事のメリットは、チーム単位で注目することになり、その人達の努力を追いかける事が既にコンテンツになり得ます。いわゆるプロセスエコノミーですね。
そして、色んな人の色んな可能性に着目する機会に恵まれます。競技そのものだけではなく、サポートする人達に憧れるような人も増えていくでしょう。
そうなれば子ども達の未来の可能性も広がりますし、より多様性を包含していける機会も増えます。
こんな未来はどうですか?
最後までカリックの世迷言にお付き合いいただきありがとうございました。
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