子ども向けの作品のスパイス 「かげのおばけ」
子ども向けの作品といえど侮れないものは数多くあります。アニメでも多くそのような作品に触れる事は多いのですが、今回は子ども向けの歌が凄いです、というお話をします。
NHKの教育番組などを観たり、子ども一緒に音楽を聴いていて、凄いなと思う事があります。まず、短い中に転調が多く入っていて飽きないのと、ワクワクする情景が感じられるリズムがあったり、中毒性がある繰り返しだったりがあります。また、キャッチーなメロディやコード進行などが豊富に使われています。あまり音楽は詳しく無いのですが、自分が理解したり感じられるだけでもこれだけの凄さがあります。しかし、そうでないと子どもが注目してくれないという問題もあるのかもしれません。
しかし、子どもだけじゃなく、一緒に聴いてる大人も面白いと、思える曲である事が凄いのです。子どもに理解出来る形で、世の中の真理をどう伝えるのかという歌もそうですが、同時に大人に人生や人間とは何かについて考えさる曲も多く、特にそれらが凄いと思います。
最近聴いた曲で気に入っているのは、NHKのみぃつけた、で流れる曲です。
好きな曲は『みいつけた、さんでぃ』という曲です。ジャジーな感じの曲なのですが、日曜日の朝からこの聴くお幸せになれる、そんな曲です。以前は日曜日版のオープニングでしたが、人気があったのでしょうか、最近ではエンディングでかけられる事が多く、尺も長めに取られるようになりました。それだけ雰囲気が良い曲なのです。
ですが、今回の話のメインは次の『かげのおばけ』という曲についてです。僕の妄想が膨らんだ解釈からするとなかなか凄い曲です。
音楽としてもなかなか中毒性があり、ウチの3歳の娘がヘビーローテーションしています。問題は、歌詞についてです。子どもの視点からすると、影が付いてきたり、伸びたり形が変わったりするという不思議さを説明するのに、かげのおばけと表現しているという解釈が表の解釈です。
裏の解釈では、ユング心理学のシャドウについての説明になっているなぁと思いました。シャドウというのは、自分が生きてこなかった自分の可能性の部分の自分という概念です。
シャドウがテーマの映画として扱われるものとして有名なのは、ジキルとハイドだと思います。見ていませんが。
自分という存在が持っている可能性が100%あるとしたら、その100%の中から実際に自分が選んで生きてきた部分が今の自分で、残りの部分がシャドウという事になります。
自分が選んできた部分というのは、実は凄く選択肢が少なくて、50%もなくて、10%そこそこあれば良いくらいじゃ無いかと思います。
たとえば、気になる異性が2人居たとして、Aさんと付き合ったら、Bさんと付き合ったらとか考えますよね。そして、そもそも告白して、付き合えるかどうかも分からないじゃないですか。今の話だけでも1/4の可能性の話になりますよね。
もう少し実際的な話をすると、優等生な子が学校の中でも外でも校則や社会のルールを遵守して破らないようなタイプの子だったとします。その子の人生の可能性を狭めているという事が出来ます。
反対に逸脱行動が多い子が優等生的な行動をする事が少ないという事も、同じように可能性を狭めていると言えます。
このように考えると、こうしたシャドウの部分は誰にもあって、特別な事ではないのです。
こんなことを考えていると、作者は子ども向けの作品を作りながら、大人に暗黙のメッセージを投げかけているようにも思うし、子どもにもタイムカプセル的に効いてくるようなメッセージを与えようとしているのかなと考えたりしてEテレさんの仕掛けの凄さに戦々恐々としています。
さて、歌詞の内容に入ってみたいと思います。先に言っておきます。
気になる箇所だけ抜粋していきますね。
ぼくはきみの カゲカゲ カゲのオバケなのさ
ぼくはきみが みてないところで うごいているのさ
ひるはきみの うしろにずっと くっついてさ
よるになると じゆうにくねくね おどっているのさ
自分ではない自分の存在がどこかに潜んでいて、自分でも知らない間にちゃんと動いている。それが四六時中ずっとくっついてくるという不気味さが表現されている気がします。
「いやだよ なんでついてくるの?」
それは たべたいくらいに すきだか らっ・らっ・ら~~
まとわりついてくることに気付いた自我は、それを嫌がります。なんでついてくるのかと尋ねると、食べたいから、つまり取って代わることを虎視眈々と狙っているというようなニュアンスで描かれていると思います。取って代わるというと、多重人格で別の人格にのっとられるかのような意味合いにも聞こえますが、今まで生きてこなかった自分を発露させたい欲求に駆られると言い換えることもできます。
カゲカゲ カゲのオバケはみんなしってるよ
ニンジン ピーマン のこしていることも
他の誰にも知られていないことでも、自分自身はごまかせない。他人が知らない良いことも悪いことも自分は知っている。そういう存在がいることをほのめかしています。これはある種、影でもあり、神様的な使われ方もしていますね。
ぼくはきみの えがおも なきがおも すきでさ
だけどきみを なかせるやつがいたら
おこっちゃうぞ~お~
笑顔も泣き顔も好きと言っているから、全部ひっくるめて好きと言っています。しかし、「泣かせるやつがいたら怒っちゃうぞ」と黙っていられなくなり、怒ると言っています。自分ではない、おばけのような存在が力になってくれると思うと少し心強くなれるかもしれませんね。しかし反面、いつもの自分ではなくなってしまう事を示唆しているような気もします。
ぼくはずっと
きみのともだち
きみがわすれたてって ともだち
かなしくなったら おもいだして
きみはひとりじゃない ない ない な~~い!
シャドウの説明部分ではないですが、非常に勇気づけてくれる箇所だと感じて自分が好きな部分なんで、載せてしまいました。
と、まあ、Eテレさんすごいなと思いました。最近、自分はこんな風に考えています。音楽だけでなく、アニメーターの方たちも子どもをダシにして、むしろ大人に向けてメッセージを発信しているなあ、と。
そう思っていた方が、メッセージを受け取れるし、人生がより豊かになるような気がしているからです。自分ひとりの考えなんてとても狭いものです。頑張って作り上げてきてはいますが、それがすべてではなありません。
自分の考えに他の人が共感してくれた時はうれしいですが、本当に成長するときというのは、自分の外にある考えを受け入れる時です。だから、出来るだけ色んなメッセージを受け入れられるように、開かれている自分でありたいなと思います。
みなさんはいかがでしょうか?
最後までお付き合いありがとうございました。
ちなみに、カノエラナさん本人が歌っているのもあるのでこちらもどうぞ↓
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